heaven's sky -episode7-






身体が重い。身体中の節々が痛く感じられる。その痛みから私は目が覚めた。



!目が覚めたのね。よかった・・・!」


目が覚めると、久方ぶりに会った母がこれみよがしに泣いていた。隣にいた父も目頭を押さえて今にも泣きだしそうな顔をしている。両親揃って涙腺が脆いのね、泣かせた張本人が言う言葉ではないが、そう思わずにはいられなかった。目が覚めた私はその後、医者に異常は無いか検査をしに病室を少しの時間離れた。しかし骨折などしたものの、脳の異常は見られなかったらしく、思ったより早く病室に戻る事が出来た。戻ってくると母がまだ残ってくれていた。お父さんは?私が聞くと父は仕事に戻ったと母が答えた。


「私、どのくらい眠ってたの?」
「一週間くらいよ。お母さん、が交通事故に遭ったと聞いた時は心臓が止まりそうになったわ」
「そう、私交通事故に遭ったのね」
「あなた記憶がないの?」
「うーん、多分事故に遭う直前だけだと思う。他は覚えてるよ。お母さんの事だってお父さんの事だって。勿論私がってことも」
「そう。それは良かった。もうが目覚めなかったらどうしようって毎日思ってたわ」
「心配かけてごめんね。でも大丈夫。私は元気よ」
「お母さん、お医者様がが目覚める確率はゼロに近いと言われた時は倒れそうになったわ。でも、目が覚めてくれて嬉しい。貴方が生きてくれて本当に良かった・・・」




“生きて”




その言葉は誰かに言われたような気がした。しかしどうしてもそれを思い出す事は出来ない。何かの思い過ごしか、事故の事もあり記憶が曖昧なのできっとどこかで記憶が交錯したのだろう。その事について特に考えることはせず、私はお腹が空いたなあと呟いた。一週間も眠っていたから勿論腹はぺこぺこだ。ちょうど林檎があるの、母は言うとビニール袋の中から林檎を手に取り、引き戸から果物ナイフを取り出して剥き始めた。母は林檎を剥くのが上手い。鼻歌を歌いながらするすると林檎の皮が剥かれる。久しぶりに見るその光景は私を懐かしさで溢れかえさせた。ぼうっと眺めているうちに林檎は剥かれ、食べやすいように一口サイズの大きさに切られていた。ありがとう、私が言う。ひとくち口に入れると、胃が驚いたのか少し吐き気を覚えた。管は巻かれていたものの、一週間飲まず食わずだったからしょうがない事だ。少々時間を置き、胃が落ち着くのを待った。待っている間、私は久方ぶりに再開した母と話をすることにした。




「不思議な夢を見てたの」
「あらどんな夢?お母さんに聞かせてちょうだい」
「あのね、天使と一緒に暮らす夢」
「それはいい夢だった?」
「うん、とっても」
「そう、それは良かった」


母がやんわりとした顔で微笑んだ。母の笑顔を見たのはいつぶりだろうか。今の状況とは相反するが、以前私と母は不仲で、堪らなくなった私は実家を出て行った。一年前の出来事である。それから一年、私たちは顔を合わせる事が無かった。私は高校生ながらに一人で家事をすることになった。初めは慣れない事ばかりで悪戦苦闘していたが、一年経つとそれも慣れ、一人暮らしを有意義に過ごしていた。
一人暮らし?私はずっと一人で暮らしていた?またしても記憶が錯綜する。




「その天使さんはどんな子だったの?」
「金髪で碧眼の綺麗な子だった」
「美しい天使さんに会ったのね。もしかしたらその天使さんに助けて貰ったりして」
「そんなまさか。天使なんかこの世にいるわけないじゃん」
「夢だものね」


そう、夢。私は夢を見ていた。とてもとても長い夢を。一週間じゃ足りないほどの夢を見ていた気がする。それはとても幸せで楽しい夢であった。天使と生活するという面白おかしな夢だ。現実ではそんなこと起こりうるはずがない長い夢を私は見ていた。夢、夢。事故から生還出来た事は喜ばしい事だが、その夢をもう少しだけ見れたら良かったのに、と不謹慎ながらに思った。母に言うと彼女は檄を飛ばすだろう。


少しだけ胃が落ち着いた。母が剥いてくれた林檎をもう一口齧った。しゃきっとした新鮮な音を立てる。甘くて少しだけ酸味があるそれは私の重たい身体を目覚めさせた。気のせいだろうが、林檎の蜜が体中に行き渡る感じがする。そしてもう一口。美味しい、私が呟くと、ここの林檎はとびきり美味しいのよ、と母が答えた。確かに今まで食べた林檎よりも格別に美味しかった。私が林檎を食べている時の事である。ふと母が床に目を遣った。




「あら、こんなところに羽根が。白いハトの羽根かしらねえ。白いハトっていうのは平和の象徴よ。今日は幸せな事が沢山あって大変だわ。にしては大きすぎるわねえ。こんな大きなハトもいるものなのね。異常気象が原因かしら」
「・・・羽根?」
「ほら、見てごらんなさい。とても綺麗な羽根よ」




母がそれを手に取り私に見せた。
掌に余るくらいの真っ白で綺麗な羽根がひとつ。




私はそれを見た事がある。夢ではなく現実で。これはハトの羽根なんかではない。私の知っている人の羽根だ。ああ、やっと思い出した。私を死から救ってくれた張本人。料理が堪らなく下手でお酒が大好きな彼。一緒に公園を歩き、早く来ないかなあと春を待ち望んでいた彼。ずっと交錯していた脳が復帰した。天使は居たのだ。私の隣に。一か月しか一緒に居られなかったがそれ以上の思い出を私に残して去って行った。私の命と引き換えに。不思議な天使であり青年だった。しかしどうしたことか。彼の名前を思い出せない。ずっと名前を呼んできたはずなのに思い出せないもどかしさが体中を駆け巡る。なんという名前だっただろう。名前は忘れてしまったが、とても美しい名前の天使だった。





「あら。泣いちゃってどうしたの?どこか具合悪くなった?」
「ううん、違うの」


私は知らないうちに涙を流していた。目をこすっても涙は溢れかえり、止めどなく流れた。





「天使はね、私の命の恩人だったんだ」





窓越しに空を見上げると、これ見よがしに太陽がさんさんと輝いていた。
もうすぐ春が訪れる。









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(10.11.16)
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