heaven's sky -episode3-







「アーサーさん、私今から学校行くんで今日も大人しくしておいてくださいね」
「分かったよ」


彼は拗ねた様子で答えた。アーサー・カークランドさんが私の家にやってきて一週間が経った。この一週間の間に色々なことが起こった。


まず、彼は料理が出来ないということが判明した。私が学校へ行っている間、暇を持て余したのか彼は私のために料理を作って待っていてくれた。私は最初とても驚き嬉しく思ったのだが、料理を見た途端その気持ちは消え去った。皿の上には黒ずんだ“何か”が添えられていた。何の材料で調理をしたのか分からないほど原型を留めていないそれはもはや料理というものではなかった。それを見た私は危険を感じ、今日はお腹が空いていないのと言って目の前の危険を回避した。彼は料理が下手という領域ではなく、料理を作ること自体分からなかったようだ。次の日から私は彼に料理を作ることを禁止させた。


次に、彼は酒癖が悪いことが判明した。これも私が学校に行っている間の出来事である。アーサーさんが私に内緒でコンビニへ行き、たらふく酒を買ってきたのだ。(一体どこからお金を出したのかは不明である。)私が学校から帰ってきて玄関を開けた途端、突然彼が抱きついてきた。何事かと思った私は酒臭い彼の様子を見て酒を飲んだんだとそこでようやく分かった。部屋には缶ビールが何個も転がっていた。彼は泣き上戸で、泣きながら小さい頃はあんなに可愛かったのに、や何であんな風に育ったんだばかあ、などと誰かの愚痴を延々と聞かされた。その日、こやつはとても面倒くさい男なんだと分かった。


最後に、彼は天使であり、天国に戻れないかもしれないということだ。




「気をつけて帰ってこいよ」
「ありがとう、いってきます」


玄関の鍵を開け、ガチャリと閉めた。空気が美味しい。今日も一日が始まる。楽しい学校生活とは裏腹に秘密の共同生活を送っていることは誰にも知らせていない。なぜならば彼の正体は天使だからだ。天使とましてや男と共同生活を送っていると友人に知られると驚愕するだろう。私は今まで付き合った人がいなかった。しかし付き合いもしない男のを居候として招き入れたことは紛れもない事実である。




「おはよう


登校していると、私の親友である志麻が声をかけてきた。おはよう、私もあいさつをかわした。宿題やった?と彼女が聞くのでおそらく宿題は白紙なのだろう。ちゃんとやってるから教室着いたら見せるね、私がそう言うと、ありがという心の友よというある漫画アニメを想像させられる台詞が返ってきた。


教室にて。志麻は私の宿題をひたすら写している。はたから見ていて彼女の集中力はすごいと改めて関心することがある。集中し始めたらこちらの声が聞こえなくなるほどだ。この集中力を宿題に生かせばいいのに。私は思う。すごいスピードでノートを写し終えた志麻は私に助かったよ、と礼を言い、ノートを返してもらった。一限目と二限目が終わり、次の三限目は日本史であった。つまらない教師の授業は恰好の昼寝日和で、昨晩あまり眠ることができなかった私自身に甘えて睡眠を与えることにした。
すぐにうつらうつらと睡魔が襲ってくる。だんだん瞼が重くなり、いよいよ眠るところであった。





どこかで小さく声を呼ぶ声がした。教室中を見回しても、寝ている人や授業をまじめに受けている人たちばかりで、私の名前を呼ぶような状況ではなかった。机の中を探してみたが教科書以外何もなかった。鞄の中だろうか。鞄の中をごそごそしていると、ふにゃっとした感触のものに触ってしまった。中を覗いてみる。するとなんと、アーサーさんが小さくなって鞄に入っているではないか。私は驚きと焦りで、即刻鞄のチャックを閉めた。なぜアーサーさんがここに、私は考える。その前になぜ小さくなっているんだろう。私は皆目見当がつかなかった。




「授業はかどってるかーちゃんと勉強しろよ」


また声が聞こえた。しかしその声は他の生徒は気づいてないらしく私にしか聞こえないようだった。もう一度そうっと鞄のチャックを開けてみる。するとまごうことなくアーサーさんがバービー人形ほどの大きさになって鞄の中に隠れていた。


「ええ!?」
「どうした、ちゃんと授業に集中しろよー」
「はい、すみません」


あまりの驚きについ叫んでしまった。家を出る前までは私よりも背の高かったアーサーさんが一体なぜこんなに小さくなっているのか。私には皆目理解できなかった。







時は昼休み。私は鞄を持って屋上にいた。昼休みの屋上は寒いながらも昼食を食べる人でほどほどに賑わっていた。私は人気のないところを選んでしゃがみ、鞄をもう一度確認することにした。チャックを開ける。するとやはりアーサーさんがいて、あぐらをかき、あくびをしながら暇そうにしていた。


「なんでここにいるんです」
「だって家で大人しく待ってられるかよ」
「だからって何で小さくなったんですか」
「魔法を使った」
「魔法?」
「うん、小さくなる」


魔法と聞いてとある魔法映画を思い出した。彼もまた杖を使ってまじないを唱え、変身したのだろうか。確かに彼は玄関で私を見送ったはずだ。でもなぜ今私の鞄に潜んでいるのだろう。これも何かの魔法を使ったのだろうか。彼は鞄から身を乗り出し、よっと軽々と外へ飛び出した。私が座っている傍まで寄ってくる。


「学校に来てどうするつもりなんです」
「お前がちゃんと授業受けてるか見にきた」


ニヨニヨと、いたずらをしたように彼が笑う。笑っている場合ではない。アーサーさんが鞄にいる横であと2限もある授業をどうやって乗り越えなければいけないのだろうか。気になって受けられるはずがない。仕方なく思った私は、今日は帰ろうと決めた。今日はもう帰ります、と言うとなんだつまんねえ、と本当につまらなそうな顔をしてアーサーさんが答えた。







私たちは家に戻った。鍵をかけたのを確認すると、アーサーさんを鞄から外へ出してやった。


「狭いところだったぜ」


外に出たアーサーさんはどこから持ってきたのか分からないステッキを取り出し、自分にそれを向けてほあた、と唱えるとたちまち元の姿に戻っていった。今は学校に行く前のアーサーさんだ。どうやって小さくなれるんです、私が問うと企業秘密だと言って明らかにしなかった。


「なあ、暇なんだったら外出ねえ?」
アーサーさんが言った。


「せっかく下界にやってきたんだし、もう少し楽しみがあってもいいじゃねえか」
「その邪魔な翼はどうするんです」
「上に何か羽織ってりゃどうにかなるだろ」


アーサーさんはずっと家にいたので寒い冬の中布切れ一枚でもいても平気だ。しかし外に出るとなったら訳が違う。寒い上に人目がある。私はあらかじめ数日前に買っておいた男性用の洋服とダウンジャケットを着るように言った。恥ずかしいので風呂場で着替えてもらうことにする。殆んど毎日布切れ一枚で生活している彼を見ているので恥ずかしいも何もないという話なのだが、やはり年頃の娘が目の前で着替える男を見物するのには躊躇してしまった。
着替えたぞ、風呂場から声が聞こえた。私が適当に買ってきたサイズの洋服だったが、彼にちょうどぴったりの大きさだった。似合ってます、私がそう言うとまあ当然だな、と自信家で憎たらしい言葉が返ってきた。




私たちは近くの公園に行くことにした。遊具や砂場、そしてバスケットゴールもあり、バスケットボールもできるほどの大きさのスペースがあった。方々に生えている木々は葉が枯れ落ち、寂しい具合になっている。陽が暮れ落ちようとしている今の時間はそれらの木々をより一層寂しくさせ、孤独にしていた。遊具で子供たちがきゃあきゃあと叫びながら楽しく遊んでいる。私たちは軽く公園を散歩したあと、傍にあったベンチに座った。



「日本っていうのはいいところだな。なんだか落ち着く」
「ええ、四季もあって綺麗なところです。春になるとこの木たちは桜という美しい花が咲くんですよ」
「見てみたいな」
「あと数カ月の辛抱です」


喉が渇いたので、自動販売機で何か買ってくることにした。アーサーさんは何飲みます、私が問うと苦いの以外と答えた。歩いてすぐの自動販売機へ向かう。私はホットコーヒーのボタンを押す。彼は何がいいだろうか。甘いもの。ミルクティーの缶が目に映った。これにしよう、私はそう思いボタンを押した。ガチャン、缶が落ちてくる音がした。
お待たせしました、私は彼にミルクティーの蓋を開けて渡す。彼が受け取り、不思議そうに眺める。そしてごくりと液体を喉に通した。おいしいですか、私が問うとコーヒーよりうんと美味しいという言葉が返ってきた。また一口飲み、こんな美味しいものが下界にはあるのかと感心していた。


「天国には美味しいものはないんですか」
「俺らは基本飲まず食わずでも生きていける。だから何が美味いのかっていう感覚はないんだ。けど下界へ降りてきたら腹が減ることが分かった。美味いもんが食いてえし飲みてえ。不思議だな、下界ってところは」
「不思議なことならあなたの住んでいた天国には負けますよ。しかしなぜ上の人を怒らせてしまったんですか」


また一口ミルクティーを口にし、彼が言った。
「それはでも言えねえんだよな」


「せっかく人を住まわせてやってるのに?」
「ああ、これだけは」
「ずるいです」
「ずるくて結構」


答えてくれなかったことに拗ねた私がむすりした顔をしていると、ははは、と彼が笑って私の髪をわしゃわしゃと撫でた。からかわないでください、私は怒った。しかしその手はとても大きくて優しく、不覚にもずっとこうしていて欲しいと思ってしまった。ただ、彼の手はやはり冷たかった。


「夕焼け綺麗だな」
「ええ、とても」


空を見上げると陽が暮れ、ビルの谷間に消えようとしていた。その陽はとても大きくまるで私たちを飲みこんでしまうほどであった。光が眩しい。今日一日の最後を飾るその夕日はもがきながら必死に輝いているように見えた。絶対的に必要不可欠な太陽が今日の役目を終えようとしている。陽が暮れたあとの夕焼けは、一面を紫色に覆い尽くし、死んでもいいくらいに美しかった。


彼の折れた翼はとうの昔に治っていた。









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(10.10.10)
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