heaven's sky -episode2-







ここだと人目に付くので、とりあえず彼を家に上げることにした。家まで徒歩五分。私は羽根の折れた天使と共に家路に向かって歩いている。彼の足元はとても寒そうで仕方ないのだが、上半身はブレザーを着せたので少しはましだろう。帰宅途中、ジロジロと二人を見る中年の女性がいたが私はしらんぷりをした。終始私たちは無言だった。




何故彼を家に上げようと思ったのか。それは単純なことである。可哀そうだったからだ。私は捨てられた動物を見るととても可哀そうに思い、家で飼いたくなってしまう。しかし私の家はペット禁止のアパートなためペットを飼うことが出来なかった。なので見捨てられた猫や犬を見るたびいたたまれない気持ちになり、飼えない自分を責め、反省した。しかし隣にいる彼は天使ではあるが動物ではない。一応人の形をしている。道路に倒れてこの世から見捨てられていた彼を見ると猫や犬とダブってしまった。ペットを飼うようなものだと自分に言い聞かせ、少しの間だけでも彼を住まわせてやることにしたのだ。勿論異性に向ける感情など一切なかった。




バタン、アパートの玄関のドアの鍵を開け、二人は中に入った。こざっぱりとした何の工夫も変哲もない平凡な部屋だ。物はそれなりに置いてあるが毎日掃除をしている分、中はさほど散らかっていない。この国の部屋は狭いんだな、周囲を見回しながら彼が言った。大きな家を持っている人も沢山いるわ、ただ私の部屋は狭いんです、私は答えた。その辺に座ってて、と部屋に置いてあるソファー辺りを指差してくつろぐよう彼に指示をした。その間私は部屋のエアコンをつけ、台所へ向かい、やかんのお湯を沸かす。お湯を沸かしている間、部屋に戻り彼の手当てをすることにした。折れた羽根の手当てを。棚の隅に置いてあった救急箱から包帯をとテープを取り出した。ちょっと背中見せて、私が頼むと大人しく彼は後ろを向けて背中を見せてくれた。折れた彼の翼を包帯でぐるぐると巻き、固定する。応急処置といったところか。私は折れた鳥の翼を治したことがない。なので勿論天使の翼を元に戻す方法は知らなかった。


「こんなもんでいいですか」
「ああ、固定してればじきに治る」


やかんがお湯の沸騰したサインを音で知らせた。ちょうど彼の翼の修復が終わったところだった。私は台所へ向かう。台所のすぐ上にある棚からインスタントコーヒーの瓶を取り出した。コーヒーの粉ををカップの中に数杯入れ、お湯を二つのカップに注ぐ。部屋に戻ると二つのカップを机に並べた。ひとつは彼のほうに、もうひとつは私のほうに。どうぞ、私は言った。


「サンキュ。この飲み物はなんていう名前なんだ、」
「コーヒーって言います。美味しいですよ」


彼はコーヒーの名前が分からなかった。というよりもコーヒー自体を知らなかったのだ。天使たちは一体何を食して飲んでいるのだろう、私は考えた。彼は熱いコーヒーをふうふうとしながら冷ましていた。良かったら氷でも入れましょうか、私が問うといや構わない、という答えが返ってきた。彼がコーヒーを一口飲んだ。そのあとに顔を歪ませながら「苦い」の一言。そんな表情をした彼を不覚にも可愛いと思ってしまった。甘い砂糖でも入れますね、私はティースプーンですくった砂糖を一杯入れてやった。




「そういえば貴方の名前を聞いていませんよね。私はといいます」
「俺はアーサー・カークランドだ」


少し甘くなったコーヒーをすすったあと、彼は答えた。アーサー・カークランドさん、私は復唱する。


「お前、いい名前してるな」
「え、」
「下の名前だよ。“”、綺麗な名前だ」
「ありがとうございます。両親に伝えておきますね」


こんな変哲もない名前を褒めてくれることは生まれて一度もなかった。なので私は少し嬉しくなり、小躍りしたい気持ちになった。しかしまあよくこんなことが言える。ストレートに言葉を伝える彼を恥ずかしい人だと思った。それと同時に少し羨ましくも感じた。
コーヒーの残りが半分となったところで、私はずっと聞きたかったことを彼に尋ねた。




「あなたは天使なの?」


彼はコーヒーをことりと机に置き、不敵な笑みを顔に浮かべこう答えた。


「この羽根を見てそう思わないほうがおかしいだろ。そうだ、俺は天使だ」


本当に彼は天使であった。


「じゃあなぜ空から降ってきたんですか」
「ちょっと上の人を怒らせてしまってな」
「なぜ怪我をしてるんですか?あなたには羽根がある。それを使って飛べば落ちることなんかないじゃないですか」
「折られた」
「は?」
「だから羽根を折られたんだよ」


私は分からなかった。いつ、誰に、何故、どのようにして。聞きたいことが沢山あったがどれから先に尋ねたらいいか分からなかった。いつ折られたんだろう、つい先ほどの出来事なのだろうか。誰に折られたんだろう、“上の人”にだろうか。何故折られたんだろう、これは彼の言葉で想像がついた。どのようにして折られたんだろう・・・これも考えたが痛々しくなったので私は想像するのを止めた。







「天国に戻れないかもしれないんだ」


おかしいよな、彼が笑う。今度は諦めたような笑いだった。その表情はどこか枯れていて、まるで何も欲しない無機物のようだった。煩悩という欲望を全てそぎ落とされたような顔をしている彼は窓越しに空を見据え、ぼうっと眺めていた。彼はこの世の人間ではない。もちろん幽霊というわけでもない。彼は天使だ。ここは現世で彼は天国から降りて(もしくは落ちて)きた。彼はあの世で何かを忘れてきたんだろうか。あたたかい何かを。部屋の中は暖かくなったが、なぜか彼の周りだけは寒気がした。誰も寄せ付けないような凍てついた空気。私は感じ取り、それ以上彼に何も尋ねることはできなかった。





その日は、夕飯を作る気分にはなれず、机の上には半分だけ飲んだ冷えたコーヒーが残されていた。









NEXT



(10.10.07)


inserted by FC2 system