不意にが口にした一言は、まるで日常の中で当たり前に存在しているような程、自然なものだった。思わず「そうだな」なんて呑気な返事をしようとしたが、ハッと我に返ってその喉から出かかっていた言葉を咄嗟に飲み込んだ。 「何、お前。死にたいの」 「ううん。言ってみただけ」 「冗談かよ」 「うん。だから気にしないで」 「冗談は顔だけにしろよ」俺はそう言うと、再びベッドに寝転び、先程まで一人で遊んでいた格ゲーの続きを楽しむ事にした。ゲームに関しては誰にも負けない自信がある。勿論、テニスだって誰にも。・・・と言いたいところだが、立海には三人のバケモノが居る為、俺の夢は無残に散った。中学一年の春、俺はその三人のバケモノに挑んだが、それはもう、コテンパンに打ちのめされた。惨敗だった。しかし、ゲームだったら誰にも負けやしねえ。 「ねえ。赤也」 そうやって一人ゲームを楽しんでいるところに、再びがポツリと俺の名前を呼んだ。ゲームに夢中だったので、声がした方へ耳だけを傾けて、俺は適当に返事をした。 「あー?」 「ゲーム、楽しい?」 「そりゃもう。チョー楽しい」 「いいな。そういうの」 「何だよ羨ましがって。、お前ゲーム苦手じゃん」 「うん。だけど、好きなものがあるって羨ましいの」 「お前って好きなもんとかねえの」 「んー。分かんない」 「なんだそれ」 は、首を傾げて本当に分からないような素振りを見せた。そういうところがちょっとだけ、本当にちょこっとだけ俺の理性をくすぐるので、コイツはある意味怖い。 偶然同じ年に生まれて、偶然家が隣同士で、偶然同じ中学に進学した俗に言う幼馴染な俺らは、こうやってお互い暇な日があればどちらかの家に行って暇を潰す。とは言っても、俺は部活があるので最近はにあまり構ってやれていない気はするのだけれど。 十数年ほど見てきた幼馴染の俺から言わせてもらうが、コイツは昔から友だちを作るのが苦手な奴だ。小学校の頃から休み時間は教室で大抵ひとりでいる。中学に上がっても、それは変わらなかった。だからと言って幼馴染の俺が手を差し伸べて助けてやろうなんて事は更々考えてなかったし、はなりに自分の人生を自分で決めたらいいと思っていた。 「部活にでも入ればいいのに」 「部活?」 「運動部でも文化部でもいいから、そこで好きなもん見つけりゃいんじゃね」 「部活かあ」 「あ。でも男テニのマネージャーだけはやめとけよな」 「なんで?」 「いや、なんつーか・・・。駄目なもんは駄目なんだよ」 が幸村部長たちに変な意味で目を付けられるとこっちが困るんだ、とは勿論本人には言えず、「色々あるんだよ」とはぐらかした。 「てか、。そろそろ帰ったほうがいいんじゃねえの。もう外暗いし」 「隣んちだし、すぐ帰れるし、大丈夫だよ」 「じゃあ、うちでメシ食って帰る?」 「ううん。今日はお母さん仕事休みだから、晩ごはん作ってくれるらしいの」 「良かったじゃん。だったらそれこそ早く帰ったほうがいいと思うんだけど」 「んー」 「何かあった? お前」 曖昧な返事をしたは、もぞもぞと動き出したかと思えば、俺が寝転がっているベッドに上がり込んだ。うつ伏せの体勢でゲームに夢中だった俺にそれが分かったのは、マットレスに自分以外の体重がかかったのと、ゲーム画面と枕元にうっすら影ができたのと、そして俺の背中辺りに知っている香りと熱がほんのり漂ってきたからだ。 俺はセーブをしてからゲーム機の電源を落とすとゆっくり姿勢を変え、仰向けになってみる。ああ、やっぱり。目の前にはの顔。いつも通り何を考えてるか分からない表情をしている。 「なにしてんだよ」 「・・・夜這い?」 「正気かよ」 「そうだよ」 「俺が襲われんの?」 「どっちでもいいよ」 「意味分かんねえ」 先に言っておくが、俺とは“そういう”関係ではない。一度もない。ただの幼馴染だ。でも、確かに俺だって年頃だしそういうことに興味は無いこともない。寧ろ有り過ぎるくらいだ。言ってしまえばお盛んだ。丸井先輩たちによくエロ本とかAVとか借りてるし。クラスの可愛い女子で変な妄想とかしてるし。 「は俺としたいの?」 「赤也は私としたいと思ったことないの?」 コイツ、質問を質問で返してきやがった。どこで覚えたんだよそんなあざといワザ。「いや、別になくもないけどよ」とは小学校に上がる前まで一緒に風呂入ってたし、コイツの裸なんか見飽きたくらいだ。とは言ってもそれは幼稚園までの話である。さすがに今、の裸なんか見てしまえば健全な男子中学生である俺は後先なんて考えず襲うだろう。 「じゃあ、する?」 「お前がしたいんだったらするけど」 「分かった」 そう言うと、は徐に自身が着ているブラウスのボタンを外し始めた。「え、マジで?」と言って動揺している俺をよそに、彼女は恥じらいなんて全く見せず驚くほど淡々とボタンを下まで外していく。やがてボタンが全て外れたことにより、ブラウスが開き、胸元がキャミソール越しに嫌でも目に入った。 そこで俺は真実を目の当たりにする。 「おま・・・何だよその傷跡」 「あ。何だろうねこれ。よく分かんない」 「『よく分かんない』じゃねえよ。どう見てもコレって・・・」 「覚えてないの。何も」 「・・・は?」 「本当に、分からないの」 幼馴染といえど成長すれば互いの交友関係なんて分からなくなるし、ましてや昔から友人が無に等しいと思っていたの交友関係なんて俺が知る筈もない。でも、それでも一応俺ら幼馴染なんだから。そこらへんの友だちなんかよりずっと付き合いの長い俺たちなんだから。何かあれば少しでも話してくれても良かったんじゃないかと、ひとり途方に暮れる。 「とりあえず俺のパーカー貸すから着ろ」厚着をさせ、ベッドに横たわらせて、目の前の幼馴染をただただ見守る。 「ねえ。赤也」 「なんだよ」 また、は意味の成さない言葉を天井に向かって呟いた。 「・・・お子様かよ」 「そうかもしんない」 「まあ、俺もだけどな。まだ子どもだし」 「じゃあ一緒だ。おそろい」 「そうだな」 ふふ、と零したの笑みは酷く痛々しくて、とてもじゃないが安心できるようなそれではなかった。初めて彼女を憐れに思った。今すぐコイツを誰も知らない遠い遠いどこかへ連れ去ってやりたい。そしたらコイツは心の底から笑うことができるのに。だが自分の無力さを感じ、今は俺も彼女と同じように力無く笑ってやるしか出来なかった。 心臓のパスワードを解いて (2016/01/18) clap |