“泣きっ面に蜂”とはよく言ったものだ。


 テストで初めて赤点を取った。昼休みに弁当を食べてこの悲しみを発散しようと思ったが、肝心の弁当を家に忘れた。仕方なく購買でパンを買ってこようとすると、今日に限ってパンは全て売り切れで、そのうえ食堂も生徒たちがひしめき合っていて大混雑だった。結局手に入れる事が出来たのは、自動販売機で購入できたコーヒー牛乳。110円。チャリン。


 育ち盛りな中学生は、たとえ女子であっても昼ご飯が飲み物だけでは物足りない。そんな時に限って、午後の授業一発目が体育という、最悪なパターンだった。体育委員の友人に聞いたところ、今日の体育の内容は長距離走らしい。流石の私でもイヤな予感はしていた。しかし、ここは精神論とばかり、自分に言い聞かせて体育の授業に臨んだ私が馬鹿だった。




◇◆◇





 強い日差しで目が覚めた。目を擦りながら光の先を細目で見遣ると、太陽が西に傾いて窓越しから西日を帯びていた。どうやら今は夕刻らしい。消毒液の匂いと、独特のクリーム色をしたカーテン。私にはあまり馴染みのない部屋だったが、此処が保健室という事は、程無くして分かった。


「相変わらず馬鹿だな。は」
「えっ、赤司くん・・・?」


 目を向けると、そこにはクラスメイトである赤司征十郎くんがベッドの傍にあるパイプ椅子に座っていた。赤司くんといえば、名家育ち、成績は常に学年トップ、そして二年生にしてバスケ部主将に選ばれる程にリーダーシップとカリスマ性を兼ね備えている、私には全く手の届かない雲の上の存在の人だ。でも、何で赤司くんがこんな所に居るのだろう。疑問に思いながら、恐る恐る赤司くんに訊ねてみた。


 赤司くんに聞くところによると、案の定、私は体育の時間に貧血でぶっ倒れて保健室まで運ばれたらしい。貧血って・・・私はどこの病弱少女設定だよ、なんて心の中で一人ツッコミを入れつつも彼の話をふむふむと頷きながら、一連の流れを大人しく聞いた。


「・・・で? 赤司くんが此処にいる意味が私、分からないんですが」
「ここまで聞いても分からないのかい」
「うん」


 赤司くんは、はあ、と深く長く溜息を吐くと、「何となく察しがついてはいたが・・・」呆れと少しの動揺を足して二で割ったような、何とも言えない難しい表情を私に見せて、こう口にした。


「記憶喪失、かもしれないな」
「誰が」
「勿論が、だよ」
「私が記憶喪失? まっさかー」
「馬鹿みたいな顔をして笑っていられるのも今のうちだと思うが」
「何度も馬鹿って言わないでよ」
「すまない。つい」


 何をどう間違って私が記憶喪失にならなきゃいけないんだ。今までの記憶は大体覚えているし、お母さんとお父さんの名前だって勿論言える。自分の名前がだという事だって忘れてなんかいない。これの何処が記憶喪失なんだろう。赤司くんってもしかして電波さんなのかな。もしもそうだったら此処だけの秘密という事で黙ってあげてもいいけど。


「ていうか『みんなの憧れ赤司くん』と一緒に居たら私、ハブられるんだけど」
「へえ。その光景も一度は見てみたいものだな」
「・・・赤司くんって私が思ってる以上に意地悪なんだね」
「よく言われる。しかし、納得いかないな」
「なにが?」
「まさかこのオレだけを忘れるなんてさ」
「へ?」
「忘れたなんて言わせないよ。“”」


 「どういうこと?」未だ状況を全く汲み取れていない私の脇の甘さが仇となった。彼の底が知れない、不穏な赤い色をした眼光を見たら、思わず自身のすべてを吸い込まれそうになった。するとあろう事か、一瞬の隙を突かれ、私は彼に唇を奪われた。知っているようで思い出せない彼との初めてのキスは、仄かに消毒液の香りがする保健室での、二人だけの秘密となった。


 すると、赤司くんは私の耳元でこう囁く。吐息がくすぐったくて、瞬時にして全身が熱くなったのが嫌でも分かったし、そうなってしまった自分が酷く悔しかった。


「意地でも思い出してもらうよ。オレの愛しい恋人さん」








おしえて赤司くん
(2015/05/23)

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