いつだってはそうだった。彼女は、どんな時でも俺に対して屈託のない笑みを見せて、まるで小さな子どものように無邪気に笑う。そんなを眺めているうちに、この気持ちが他でもない、恋愛感情だと気付くのは決してそう遅くはなかった。


 は中学から高校と同じ学校だった。
 中学入学時、俺とは、初めて出会った。偶然クラスが同じになり、偶然席も隣同士になったという事もあり、何もかもが真新しく見えて、そして気持ちも不安だらけだった俺たちは、自然と仲が深まり、よく話す間柄になった。俺は彼女の事を『』と上の名前で呼び、は俺の事を『スガ』と呼ぶ。が俺の名前を呼ぶ度、待ってましたかと言わんばかりに俺の鼓動は速まっていくのが、嫌でも分かった。


 中学二年に進級すると、俺たちはクラスが離れ離れになった。廊下に貼りだされたクラス表を二人で見て「クラス、離れちゃったね」と、クラス表をじっと眺めながら俺の顔を見ずに隣で小さく口にしたの横顔が寂しそうに見えたのは気の所為か、はたまた。
 しかし、クラスは離れたものの俺たちは時折お互いの教室へ行き来し、CDや漫画の貸し借りをしたり、廊下ですれ違えば軽く談笑をしたりと、以前と関係性は変わらなかった。それが、俺にとって安心した部分もあったが、これ以上この関係が良い方向に向かうという兆しは、残念ながら無かった。あくまで俺の中では。


 晴れて再び同じクラスになった中学三年の頃の話だ。用事で職員室に行った際、担任の机の上に無造作に置かれてあった、かさばった中にちらりと覗くの進路希望調査票を見つけた。そこに、彼女の進路希望先が俺と同じ『烏野高校』だと知った時、心なしか胸が高鳴った。そうか、もしかするとまたと同じ学校生活を送る事が出来るのかと思うと、嬉しくて堪らなかった。


 高校入試に受かった。勿論、も。受験票を握り締めた俺たちは、笑いながら二人してハイタッチした。その時のの満面の笑みは、今でも忘れられない。


 無事、お互い烏野高校へと進学すると、俺はずっと続けてきたバレーに打ち込んだし、も中学から続けてきた部活に入部し、二人とも充実した日々を送っていった。
 俺たちの関係は良好であり、かといって変化はまだ、無い。


 高校二年に上がると、が、俺と同じバレー部である大地とクラスが一緒になったんだと嬉しそうに言ってきた。「どうしてそんなに嬉しそうな顔して俺に言うの」と問うと、「スガとの共通点が持てた気がして」と言ったものだから、それはもう、こちらとしては赤面モノだった。


 それからというもの、俺と大地、そしては、学校内でも三人でよく絡むようになった。勿論、俺と大地はバレー部同士という事もあり前からつるんでいたが、同じクラスという事で、と大地が二人で一緒にいるのもたまに見かけた。


 そろそろ秋めいてきた日の夕方、偶然帰り道が一緒になったが、俺にこう言った。


「澤村くんとスガって、なんか似てる」
「なんだそれ」
「でも、どちらとも欠けたら駄目なんだよね」
「ますます分かんないだけど」


 呆れたように俺がそう言うと、ははっとははぐらかすかのように、笑った。




 とある日、に『大事な話があるの』と言われて、俺を呼び出した。遂にこの日が来たか、とひどく心躍った。その日は他の部員よりも我先にと素早く制服に着替え、部室から飛び出て、部活が終わった後、待ち合わせ場所の校門へと、俺は駆けた。


 「お待たせ」平常心を保とうとしても、顔がいつもよりニヤついているのが、自分でも容易く分かった。「そんなに急いで来なくても、待ってるのに」と言うの笑顔が、この日は、いつにも増して可愛く見えた。


「で、。大事な話って何?」
「スガには話しておきたいと思って」
「うん」


 ・・・うん? 俺の心の中に、漸く暗雲が立ち込み始めた。心がざわつく。先程まで浮かれていた馬鹿みたいな俺はもう、この世から煙のように消え去ろうとしている。何となく状況を把握し始めた。が、時既に遅し。が口を開く。次の言葉を言ってしまえば俺は、もう。頼む、お願いだから言わないでくれ。


「あのね、私ね」
「うん」
「澤村くんと付き合うことになったの」


 どうして、そんな申し訳なさそうな顔をして俺に言うのだろう。は、俺にどういう言葉を返して欲しいのだろう。もしかして、引き留めて欲しいのだろうか。賭けに出てみようかと思ったが、そんな自信は、当時の俺には残念ながら持ち合わせていなかった。


「そっか。良かったじゃん。おめでとう」


 いま出来るだけの、充分過ぎる程の精一杯の笑顔を俺は、に捧げた。




◇◇◇





 高校三年に進級した春、風の噂で、と大地が別れたと知った。
 ある日の放課後、その噂は本当かどうかと、当事者である大地に聞いてみた。曰く、『部活に専念したいから、俺の方から別れを切り出した』という答えが返ってきた。「へえ、そうなんだ」と軽く言って、俺は無理やり話題をすり替え、その話はすぐに終わった。


 丁度その日の夜だった。
 珍しく、からメールがきた。内容は『今から外出られる? 近くの○○公園まで』という、何の色気もない短文メール。“○○公園”というのは、俺たちが中学の頃、よく放課後に遊んでいた近くの公園だ。部活から帰ってきてそのまま寝てしまおうかと思っていたところにこのメールだったので、眠気なんか一気に吹っ飛んだ。俺は、「分かった」という返信をして、すぐさま着替えると部屋のドアを開けた。


 季節が春に変わったとはいえ、宮城の春は、まだまだ寒い。夜風に吐息が白く揺蕩う。その、今にも消え入りそうな白い吐息の隙間から、ひとつ、人影が見えた。


「やっほ」


 手をひらひらと振って現れたのは、他でもない、俺を呼び出しただった。公園の入り口付近にある、赤い色をした自動販売機の前にが寒そうに佇んでいたので、挨拶代わりにドリンクでも奢ってやろうと決めた。


「なんか飲むべ?」
「ホットココア」
「了解」


 ガコン、と自動販売機からホットココアを取り出し、に渡すと、「ありがとう」という、今まで俺に言った事あったか、なんてお礼が返ったきたから驚いた。そんな驚きを隠しつつも俺たちは、缶のプルタブを開けると、近くのベンチに座った。
 誰も居ない公園に来るなんて、初めてだ。夜だから当たり前か、なんて自答しながら、ホットココアを啜った。そして話を切り出したのは、俺からだった。


「こうやって二人で話すの、なんだか久しぶりだな」
「そうだね」
「春になったけど、夜はまだ寒いのなー」
「うん」
「大地と別れたんだってな」
「・・・うん」


 横目でちらりと見たの表情は酷く曇っていた。そういえば、いつからだろう。が俺に笑顔を寄越さなくなったのは。ああ、あの時からか。『大事な話がある』って、俺が勘違い炸裂した、“あの”放課後。瞼を閉じれば、いつだってあの日の光景が笑えるほど鮮明によみがえってくる。
 戻りてえな。


「ごめん、スガ。本当に、ごめん」
「何で謝るんだよ。何も謝ることなんかない」
「でも、私。本当は・・・」
「それ以上言ったら俺、泣くべ」


 ははっと冗談めかして言ってみたら、俺じゃなく、の方が声を殺して泣き始めた。ごめん、ごめん。と、何度も隣で謝るを、俺が抱き締める事も出来なくて。夜空に浮かぶ満天の星だけが、なけなしの頼りだった。



「な、に」
「ずっと好きだったよ」
「・・・うん」
「今まで、ありがとう」


 そう言い放った言葉が息となり、息が白く物体になり、未練がましそうにゆらゆらと暫くの間、漂い、揺らめく。早く消えてしまえばいいのに。でも、まだ春が来たとは言い難い、この宮城の夜には必要なものかもしれない。




 一人の少女が泣いている。それを見て、何も出来ないと少年が途方に暮れる。




 恋なんて滑稽なものは、誰も幸せになんかならない。








置いてけぼりの愛惜

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