『突然で悪いんだが、今から外出られるか?』 本当に突然の事だった。渋沢が私なんかを呼び出すなんて、どこの冗談かと思った。けれど、電話越しの声は確かに渋沢だったから、嘘なんかじゃないんだろうと現実と対峙してみる事にした。 ◇ 事の発端は、三上からの電話である。 『? 久しぶり。俺だけどよ、今ヒマしてるか』 「暇してるけど、いきなりどうしたの」 『武蔵森メンバーが偶然みんな集まってるんだよ。お前もどうかと思ってさ。勿論来るだろ?』 「私に拒否権は?」 『お前ごときにあるわけねえだろ』 「三上死ね。今すぐ死ね。三十分後には着く。じゃ」 電話越しから聞こえる三上の笑い声を無視して、私は一方的に電話を切れば、コートを羽織ってすぐさま家を出た。現在東京でしがない社会人をやっている私は、予定の無い週末の夜を一人、マンションの一室で暇を持て余していたところだ。 数年振りに鳴った三上からの着信は、少しだけ私の心を浮つかせた。何せ青春時代である中高の部活を共にした一員であり、学生時代は唯一腹を割って話せる異性だったので、恋愛感情抜きで好きな友人の一人でもあった。 JR××線○○行きの電車に揺られて十分程で三上を含む武蔵森メンバーが居るという最寄駅へ辿り着けば、駅の三番出口へと向かっている途中、私の足取りは心なしか軽やかだった。懐かしの皆に会える。最後に会ったのはいつだっただろうか。そんな事を思い出しながらも私の頭の中は、とある人の事でいっぱいだった。 「おー、。こっちこっち」 出口に着くと、なんと“あの”三上が待ってくれていたではないか。今の気持ちを声に出すと彼に怒られてしまうので当然口にしなかったが、三上が女を待つなんて柄ではなかったので酷く驚かされた。人間ってこうも変わるものなのだろうか。それはとても微々たるものだが。 「待っててくれなくても、直接お店まで向かったのに」 「だってお前、方向音痴だろ? 来てやった俺に感謝しろ」 「う、うるさいなあ・・・」 店に向かう際中、軽く互いの近況報告をし合った。とは言っても三上がJリーグ選手になったというのはお互いの大学卒業前に直接本人から聞いていたので、取り分け会話の大部分は独身男女がまず第一問うようなものだった。 「ところでお前、彼氏は出来たのかよ」 「相変わらず、いませんね」 「ったく干物女め」 「あ? 今なんつった三上」 「まあ、らしくていいんじゃね?」 「それ褒めてないでしょ寧ろ貶してるでしょ」 「さあな」 私が一方的にギャーギャー負け犬の遠吠えの如く喚いているのをことごとく無視をし続けた三上は、「お、着いた」と言って足を止めた。そこは、確か以前成人式の二次会で使った、懐かしの居酒屋だった。 「先輩! お久しぶりでーす!」 「藤代、久しぶり。見るからに元気そうで何より」 「ちょうど俺の隣空いてるんで。まあどうぞ座って座って!」 「おいこら藤代テメエそこ俺の席だったろうが」 「わーい! じゃあ、お言葉に甘えて失礼しまーす」 「お前ら二人して共謀しやがって・・・」 昔と変わらず藤代は底抜けに明るく、元気だった。でも、やっぱり二十代半ばなりの風貌にはなっており。約十年前から比べて成長した彼に対して嬉しくもあり、少し寂しい気持ちも抱いたりもした。そう。私たちはもう、成人してしまったのだ。大人になってもこうやって久方振りに再会するような仲になるとは思わなかったし、何より、目の前に居る奴らが本当にJリーガーになってしまうとは思いもしなかったので、彼らには心底驚かされる事ばかりだ。 「先輩は元気にしてました?」 「うん。それなりに」 「彼氏できました?」 うう。またこの質問だ。訊ねた本人は何も考えずに訊いたのだろうが、三上と同じ質問をしてきたから、幾分どういう答えを出そうかと迷った。とは言っても答えなんて『ノー』しかないのだけれど。助けを求めて三上に目配せをしたものの、一瞬三上と目が合ったが、わざと目を逸らされた。覚えてろよクソ三上。結局私は、藤代に対しても三上と同じく「いないよ」と返事をした。 「えーっ。彼氏いないんスか! 先輩美人なのに勿体ないですよー」 「出会いがないからなあ」 「合コンは?」 「そういうのは苦手で」 「じゃあ、友だちの紹介とか!」 「そういうのもちょっと・・・」 「だからずっと干物女なんだよ」という三上の声が聞こえてきたが、斜め向かいに座っている三上を一度ジロリと睨むと、わざと無視してやった。 「あっ、もしかして。忘れられない人がいるとか!?」 その直後、ちょうど思い出したかのように、唐突に藤代が声を上げた。その、彼にとってはなんて事のない問いに、私の心臓は一度大きく飛び跳ねた。藤代が発した言葉によって、私は酷く動揺してしまう。しかし、「どうだろうねえ」などと、生返事をして言葉を濁し、その場を逃げようと目論んだ。だが、それはとある人物の登場によって失敗に終わった。 ガラッと居酒屋の出入り口が開けられ、「いらっしゃいませー」と店員が元気よく挨拶をすれば、目線は自然とそちらに行った。 「渋沢キャプテン!」 藤代が放った名前によって、私は漸く彼を認識する事となる。 「すまん。遅れてしまった」 「遅いっすよー! 俺、待ちくたびれました」 「取材が長引いてしまってな」 「とりあえずこっち空いてるから座れよ」 「ああ。悪い、三上」 「とりあえずビールでいいか」「頼むよ」そう言うと、三上は店員を呼んで渋沢のビールと、自分の分のビールを注文した。暫くすれば「お待たせしました」と、先程の店員が二人分の生ビールを持って来た。お酒と、そしてメンバー全員が集まったか確認をすれば、「それじゃあ、第○期・武蔵森サッカー部プチ同窓会に、乾杯!」と何故かこの中で一番の後輩である藤代が音頭を取った。 「乾杯!」 そうして、懐かしの面子との宴が始まった。 週末という事もあり、店内はガヤガヤと賑わい始めた。そこらかしこから、メニューを注文をする声や楽しそうな笑い声などが聞こえてくる。アルコールを摂取した私も、店内の空気に飲まれて自然と気分が高まっていくのを、肌で感じた。 近くに座っている仲間の話を、耳を傾けて聞きながら、何となしに周囲を見渡していた時だ。不意に渋沢と目が合った。ほんの少し前までいい具合にほろ酔い状態だった筈の私の身体が、渋沢と目が合った瞬間、一瞬にして酔いが醒めていくのが嫌でも分かった。 私の顔を見た渋沢は、笑みを零すとこちらに向かって口を開いた。 「、久しぶりだな。元気にしてたか」 「うん。おかげさまで」 「そうか。良かった」 「渋沢も元気そうだね」 「ああ。それなりにな」 そうやって会話が一通り終わると、二人の間に沈黙が訪れた。久しぶりの再会だというのに、これじゃあ何も生まれない。正直、酷く緊張している。勿論私の方が。打って変わって、私の隣に座っている藤代はというと、同い年の笠井や中西などと酒を飲み交わしながら楽しそうに盛り上がっていた。そんな中、私は模索するように無理やり渋沢に話題を振った。 「あっ。今日、取材だったんだね。お疲れ様」 「オフシーズンだからな。この時期はよく取材が来るんだ」 「そうなんだ。取材って、スポーツ誌?」 「ああ、大抵はな」 「前に女性誌でもインタビュー受けてたよね。読んだよ」 「そうなのか。ありがとう。でも、なんだか恥ずかしいな」 困ったように笑うのが、渋沢の昔からの癖だった。その癖を見ると、不意に中学時代を思い出し、ひどく懐かしくノスタルジーを感じさせた。好きだった。昔から。その癖を見るのが。そして、何より彼自身を。確かに、ずっと好きだった。 ぼう、と頭が鈍くなっていくのは酔いの所為か。はたまた、渋沢の所為なのか。 「そうだ。、携帯番号は昔と変わってないか?」 「うん。変わってないよ。急にどうしたの?」 「いや、特に理由はないんだが。何となく」 「ふふっ」 「どうかしたか」 「渋沢でも『何となく』っていう今どきの言葉使うんだね」 「悪いが、こう見えてもまだ二十代だからな」 「そうだった」 さっきまでの緊張は一体何処へやら。いつの間にか、渋沢と上手く話しているではないか。そういえば中学時代だって、こんな風に仲良く談笑していたような気がする。上手く話せなくなったのは、私が渋沢を意識し始めてからだ。私の方から、知らずうちに距離を取っていた。私がもっと積極的な人間なら、“今”という未来は変わっていたのだろうか。渋沢と距離を取ってから、彼は、誰を好きになり、誰と愛し合っていたのかすら、私は全く知らないのだ。ただただ、後悔だけが残る。 そうこうしているうちに、同窓会という名の飲み会は終わりを迎えてしまった。居酒屋を出ると、藤代に「先輩も二次会行きましょうよ!」と誘われたが、そんなにお酒も飲めないしカラオケも苦手だったので、二次会は断った。聞くところによると、渋沢や三上も二次会には参加しないらしい。 しかし渋沢とは電車の方向が逆だったため、後ろ髪を引かれる思いで、私は渋沢と別れた。仕方なく、偶然電車が同じ三上と帰りを共にした。終電間際の電車内は、週末という事もあり、私たちのような飲み会帰りの人たちでごった返していた。隣に立っている三上を横目でちらりと見れば、ふわあ、と眠たそうに欠伸をしている。私は、吊革に掴まりながら過ぎ去ってしまった今日の時間を思い出す。もう、暫くは会えないんだろうな。彼に。会う口実なんて無いし、もしかすると渋沢に恋人がいるかもしれない。もしも恋人がいるとしたら、今度こそ本当に一生会えないだろう。 はあ、と一つ溜息を吐いた。考えるだけで気分が下がる。一人憂鬱な気分に浸っているところに、隣に立っている三上が徐に口を開けた。 「お前。好きなんだろ」 「何を」 「渋沢だよ」 「は? 何で知って・・・」 「相変わらず分かりやすいんだよバーカ」ククッと三上が嫌味っぽく笑う。 「ま、せいぜい頑張りやがれ」 「どうやってよ」 「知らね。あ、駅着いた。じゃあまたな」 「え、ちょっ・・・!」 三上は言い終えると、手をひらひら振りながら颯爽と電車から下車していった。取り残された私は、途方に暮れて車内に一人立ち尽くす。 車窓に映された自分の顔を見ると、お世辞にも良い表情をしているとは思えなかった。どんよりと曇り空のような顔をした私は再び、はあ、と一つ深い溜息を吐く。ついさっき別れたばかりだというのに、今すぐにでも渋沢に会いたくなった。だが、渋沢が今どこに住んでいるか知らないし、最寄駅すら勿論知らない。 そんなどうしようもない事を考えているうちに、最寄り駅を知らせるアナウンスが車内に響き渡った。ドアが開くと、下車して家から一番近い二番出口へと向かう。私の足取りは酷く重たかった。帰りたくない。帰ってしまえば、楽しかった一日が終わってしまうという、我儘ではあるが私の本音が漏れた。 そして、いよいよ家に到着してしまう。鍵を開け、暗い部屋に明かりを灯した。おかえりと言ってくれるような相手は勿論居ない。喉が渇いていたので、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注いで一杯飲み干した。すぐに風呂にでも入ろうかと思ったが、何となく今夜の余韻に浸りたかったので、部屋着にも着替えずテレビの電源をつけようと、リモコンに手を伸ばした。その時だった。 私の携帯電話が突然、鳴り響く。 こんな夜に誰だろうかと思いながら、携帯のディスプレイを見た途端、私は目を疑った。恐る恐る携帯電話を持つと、通話ボタンを押す。今にも震えそうな小さな声で、私は電話に出た。 「もしもし・・・?」 『もしもし。渋沢だが、の携帯で合ってる、な』 「そうだけど、いきなりどうしたの」 そして、今に至る。 『突然で悪いんだが、今から外出られるか?』 お風呂に入らなくて良かった。化粧を落とさなくて本当に良かった。 私はコートを再び羽織ると、駆け出すように慌てて部屋を出た。 エレベーターを呼ぶのすら時間のロスだと思うくらい、待ちきれなかった。心臓の鼓動はいつにも増して速い。漸くエレベーターがやって来ると、すぐさま飛び乗り、一階のボタンを強く押した。 何故この時間に渋沢が私のマンションを知っていたのかと考える暇すら与えず、ただただ私の頭は渋沢に会いたいという気持ちでいっぱいだった。 一階に到着すると、私は玄関の外へと走った。あと少し、あと少しで。 玄関を出ると、渋沢が白い息を吐きながら寒そうに立っていた。 「渋沢・・・」 「遅くにすまん」 「ううん。全然大丈夫だよ。でも、どうして。電車逆だったじゃん」 「タクシーで来た。住所は三上に教えてもらったんだ」 「そう、なんだ。あっ、寒いから家入る? 部屋汚いけど」 「ずっと好きだったんだ。中学の時から」 「え?」唐突に渋沢がそんな事を言ったものだから、私の頭はついていけなかった。当の渋沢はというと、寒さからだろうか、若しくは、別の理由からだろうか。若干頬と耳が赤く染まっていた。 「勿論、のことが」 「え、あ、その・・・」 「本当、突然ですまない。だが、今日どうしても言いたかったんだ」 「そう、なのね・・・」 「答えはすぐにとは言わない。考えてくれるだけで嬉しい」 真剣な眼差しで、渋沢が私を見ている。初めてだった。嬉しくて、みるみるうちに自然と私の目からは涙が溢れ出していくのが、体温が上昇していくのが、嫌でも分かった。心拍数は、相変わらずドクドクと速く波打っている。涙声で、震えるように喉の奥から、私は詰まりながらも必死に声を出す。 「好きなのは、私だって同じだよ」 「え?」 「私も、渋沢のことが、ずっとずっと・・・」 すると、身体の温もりが二倍になった。そこで私は今、渋沢に抱き締められているのだと認識する。あったかいな。人ってこんなにあたたかい生き物だったんだ。初めて感じる人の温かさに、私はやや戸惑いを感じたものの、彼の温もりが私の胸を安心させたのもこれまた真実で。私は、涙ながらに言葉を続ける。 「好きでした。そして、今も貴方のことが大好きです」 ぎゅう、と私の言葉に応えるように先程よりも私を強く抱き締めた。 「泣かないでくれ。どうしたらいいのか困ってしまう」 涙を零しながら渋沢を見上げると、彼はいつもの如く困ったような笑みを見せていたので、私は泣きながら思わず笑ってしまった。ああ、幸せってこういうことを言うんだな、と改めて感じさせられた。抱き締め合い、そして見つめ合った私たちは最後にこう口にする。 「。俺と、付き合ってくれないか」 「はい。喜んで」 エトセトラの終着点 (2015/02/01) clap |