いつだっただろう。アイツを異性として見るようになったのは。


 私にとって彼は、同い年ながらにしていつ何時も守ってくれる兄貴的存在であった。小学一年生の時、登校中に出くわした野良犬が怖くて一人声を上げて泣いていた時も、アイツは私の手をぎゅう、と強く握り締めて野良犬を追い払ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。私はいつも、ブンちゃん、ブンちゃん、と何度も彼の名を呼んで、アイツの後ろ姿を追いかけてきた。だってブン太は、私にとって幼い頃からのヒーローだったから。私は彼に心底憧れていたのだ。


    は本当に泣き虫だなあ。
    でも、泣いたらブンちゃん助けに来てくれるでしょ?
    だってお前の泣き声うるさいし。
    わ、ブンちゃんひどい!


 こんな会話をしていたのも、酷く懐かしく感じる。




 そんな、昔から仲の良かったブン太と私も、中学に進学すれば一緒に登校する事もなくなったし、互いに知らない友人だって出来た。だんだん二人の共通点が無くなっていく事については、当初は寂しくあったが、私は私なりに学校生活が充実していたし、ブン太が隣にいないことにもだんだん慣れてきた。


 そして、ブン太を初めて異性として意識し始めたきっかけは、今からちょうど一年前の、彼が立海大附属中テニス部レギュラーに昇格した、中学二年の頃だった。ブン太がテニス部レギュラーになった途端、同級生の女の子たちが、こぞってブン太に注目し始めた。
 周りの女の子たちが髪の毛などの身なりに気を遣うようになったのも、その頃からだった。スカートを少しだけ短くしたり、髪もコテで巻いてきたりと、顕著に変化が表われた。


 思春期独特の変化は、勿論男子のほうにも表れたのも確かであり。中二の夏休みが終わり、二学期の始業式が行われていた時の事だ。隣に立っていた、一学期までは私と同じくらいの身長だった筈の男子が、ぐんと背が伸びて、やや私を見下ろす程に身長が伸びていたのは、流石に驚かされた。


 その頃、身長こそあまり伸びなかったものの、ブン太は女の子たちに大層モテ始めた。ルックスも元々悪くなかったし、何より、超強豪校である立海大附属テニス部レギュラーに選ばれたのが、人気に火が付いたのだろう。


 ブン太とはえらくクラスが離れていたものの、私と同じクラスの女の子が、家庭科の調理実習で作ったクッキーをわざわざブン太のクラスまで足を運んでプレゼントしたという話は、何度も聞いた。同じテニス部レギュラーの幸村くん程ではないが、非公式ファンクラブが出来たとか後々出来るとかなんとか。
 遠い存在になったもんだと、ひしひしと感じた。


 中学三年に進級すれば、ブン太とは隣のクラスになった。とは言っても、中学に入学して殆んど一度もブン太とは会話なんてしていないし、そもそもブン太が私の存在を覚えているかすら危うい。多分、私が隣のクラスになった事なんて知らないだろうな。自嘲気味に考えてみたが、ただただ虚しさだけが残った。


 とある日の放課後、隣のクラスの友人を待っていた時だった。友人は委員会で帰りが遅くなるらしく、「少し待ってて!」と懇願された手前、待つしかない。時間を持て余した私は、仕方なく他の友人から借りていた少女漫画を読んで暇を潰す事にした。春の夕日が心地良く、思わずうとうと舟を漕ぎそうになった。その時だった。


 ガラッと勢いよく教室のドアが開け放たれたので、その音に驚いた私は、思わずドアの方に目を向けた。


 “幻”かと、疑った。


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 突然、私の前に現れたブン太に対して、何と呼べばいいか分からなかったので、取り敢えず『丸井』と上の名前で呼んでみた。しかし、違和感だけが無意味に残った。間違ったかな。でも、まあいいや。久しぶりに喋ったブン太は、やっぱり変わってなんかいなかった。でも、若干声が低くなった気もするような、しないような。昔の、私にとってのヒーローだったブンちゃんは、今も健在なのだろうか。そうであって欲しいと、ただただ切に願う。


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 翌朝、私はいつもより少しだけ早起きをして、隣の家の前に立てば、彼が家から出てくるのを待った。「いってきまーす」と、ドアの向こう側から微かに声がした。そして、ドアノブが回るのを確認する。緊張して、ぎゅう、と胸が締め付けられた。そして現れた、誰よりも目立つ、赤い髪。私の姿を見て、びっくりしたのか、目を真ん丸くさせている。そりゃあ、そうだろうな。でも、今はそんな事など、どうでも良い。私は目一杯の笑顔を添えて、こう口にした。


「ブンちゃん。おはよう」


 すると、ブン太の驚いていた顔が、ちょっとだけ解れた。








二人の初恋 ≪後編≫
(2015/01/10)

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