あれはいつだっただろう。彼女に対して、他の女子とは違う感情を抱くようになったのは。それは、一色も塗っていないパレットのように真っ白で純粋な、何もかも手探りだった中学三年の春の話である。


「ブン太。部活行こうぜ」
「おう。ちょい待ちー」


 放課後、ジャッカルに呼ばれて部活に行く準備をしていた。ラケットバッグと通学用カバンを肩に引っ提げて、俺とジャッカルは二人で部室へと向かって行った。一階まで下りていき、下駄箱で靴を履き替え、そしてテニス部の部室のドアを開けようとした、まさにその時だった。いつも必ず有る物が無い事に漸く気が付く。


「あれ?」
「どうした。ブン太」
「無い」
「無いって、何がだよ」
「ガム」
「はあ? いつもポケットに入れてんじゃねえの」
「補充し忘れたんだよ」


 「ちょっくら取ってくるから、ジャッカル先行ってて」俺はそう言うと、ジャッカルと別れて三年B組の教室へ再び戻った。


 俺にとってガムは身体の一部と言っていい程の必需品である。しかもグリーンアップル味のチューインガムじゃないと駄目だ。特に練習中や試合中は、集中力を更に高める為にガムは噛み続けている。そんな大事な物を教室に置いていくなんて俺もいよいよボケたもんだなあ、なんて一人冗談かましてると、いつの間にか教室に辿り着いていた。


 そして、誰も居ないであろう放課後の教室の扉を勢いよくガラッと開けると、普段殆んど見もしない少女が偶然にも俺の机に座っていた。彼女は音がしたこちらへ振り向くと、少々驚いた表情を見せてこう言った。


「え、丸井?」
「おー。じゃん」
「どうしたの、こんな所で。部活じゃないの」
「忘れ物したんだよ」
「なに忘れたの」
「ガム」
「あー」


 成る程、というような納得した素振りをは見せると、思い出したように「ごめん。ここ、丸井の席だったね」と言って俺の机から離れようとしたが、俺はさほど気にしていなかったので「座ってていいぜ。ガム取りに来ただけだし」なんて、我ながらスマート且つクールな台詞をに返した。


「つうかこそうちの教室来て何してんだよ」
「友だち待ってるの」
「あ、そ」


 ガサゴソと机の中を探っている間、は、先程俺が言った言葉に思う存分甘えるように、椅子に居座ったまま漫画を読んでいた。


「何読んでんの」
「んー。少女漫画」
「面白い?」
「まあまあ」
「ふーん」


 そんな至極どうでもいい会話のキャッチボールを何往復かしていると、机の奥からやっとガムが見つかった。


「おー、あったあった」
「良かったねー」


 「ガムも見つかったし、俺部活行くわ。じゃあな」そう言って教室から退出しようとした時の事である。
 「ねえ」不意にに呼び止められたので、俺は徐に振り返った。


「ん、なに?」
「私たち隣のクラスって、知ってた?」
「マジ? 知らなかった。てか言えよ、幼馴染なんだから」
「うん」


 “幼馴染”


 自分の口から言っておいて、俺たち二人、幼馴染だったのかと思い出す。小学校までは確かに二人で登校したり、夕方遅くまで近所の公園で遊んだりしていたように思える。しかし、いつからだっただろう。俺らの間に距離が空いてしまったのは。おそらく、ちょうど中学に上がった頃だっただろうか、最後に二人一緒に並んで登校したのは。中学の入学式の日と、その翌日の朝以降、一緒に登校した覚えはないし、話した覚えも、殆んど記憶にない。


 えらく年が経つのは早いと、まだまだ子どもながらにも深く思う。


「ていうかよ」
「ん?」 




   また昔みたく“ブン太”、とか“ブンちゃん”、とか呼んでくれてもいいんだぜ。




 なーんて、俺も人のこと言えねえけどさ。


「・・・ううん。何でもねえ」
「ふーん。へんなの」
「じゃあ、またな」
「ばいばーい」


 言いたくても何故だか言葉に出来ない、その思いを胸の奥にぎゅっとしまい込み、俺はと別れた。


 再び部室に向かっている最中、俺はぼんやりと先程の光景を脳裏に映して思い返す。あいつ、いつからあんなに髪、伸ばし始めてたんだ?俺の知らない間、彼女も俺と同じように成長していたのだろう。俺は、と交流を絶っていた二年間、彼女の事をまるで知らない。どんな事を思いながら、そして誰を好きになりながら生きてきたのか、全く知らないのだ。
 一旦気になりだすと、ますます気になってしょうがなくなってしまった。なんだこれ。


 ああ、そうか。これがあの“恋”っつうものなのかもしれない。
 これが、チャラそうな見かけによらない、少しだけ遅い、俺の初恋だった。








二人の初恋

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