「シゲはさ、何で結婚しないの?」
「なんでーって言われてもなあ。俺いま相手おらへんし」
「シゲのことなら彼女とかすぐ出来るじゃん。勿体ないよ」
「さよか」


 一瞬だけシゲは下に顔を向けると、再び顔を持ち上げ、に冗談めかしてこう言った。


ちゃんが彼女やったら結婚したったのに」
「ははっ、もう遅いよ」
「せやな。ちゃん人妻やもんな」
「人妻って言い方、なんかやらしい」


 「まあ、合ってるっちゃあ合ってるけど」はそう口にし、カップを自身の口元へ持っていけば、ホットカフェラテを僅かに啜った。


 は、今年の春に結婚した。結婚相手は、彼女の会社の同僚である。中学時代から交流のある二人は、何だかんだで今でもこうして会っては近況報告をする仲だ。の旦那も彼らの仲が良い事は付き合う前から知っていたし、シゲに下心がない事も、勿論確認済みだ。だから、が結婚してからも、こうして二人で会う事を認められている。


「シゲは面食いだからなあ」
「男はみんな、べっぴんさんが大好きやで」
「モデルと結婚は? あんたの元カノ、確か有名なモデルさんだったんじゃない?」
「せやったっけ。昔のこと過ぎて忘れてもうた」
「またそうやってはぐらかす。シゲの悪いところだよ」
「暫くは、カノジョとかそういうの要らんかな」
「何で?」
「傷心中やねん」


 が二、三往復ほど上下に目をぱちくりと瞬かせたかと思えば、ぶはっと勢いよく噴き出した。ケラケラと声を出して笑うを、いつになく眉尻を下げ、困ったような顔をしてシゲはその様子を眺める。暫くして、はあ、とシゲは溜息を吐けば、「ちゃん・・・」「ごめん、なに?」呆れた表情をしながら、シゲは言葉を続ける。


「そこ、笑うとこちゃうやろ」
「いやいや。プレイボーイで有名なシゲが傷心中とか、笑うしかないでしょ」
「・・・シゲちゃん余計に傷付いたで。ちゃんのアホウ」
「ごめんってば。なに、フラれちゃったの?」
「まあ、そういうやっちゃな」
「誰でも失恋することはあるよ。私だって学生時代、あんたにフラれたし?」
「せやった」
「でも、フラれてもこうやって今でも仲良く友だちを続けていけてんのは、シゲのおかげだよ」
「なあ、ちゃん。もしもあの時、俺がオッケーしてたら今はどうなってたんやろな」
「私たち、結婚してたり?」
「アホ抜かせ」


 お互い目を合わせると、どちらからともなく笑い合った。まるでそんな過去も未来も、そして現在も無いかのように、二人は笑い飛ばした。あるようでないような、そんな現実だけが浮遊して、二人の思い出だけが宙ぶらりんになっている。
 そんな中、不意に時計に目をやると、は「あ、時間だ」と言葉を漏らした。シゲにとって、“過去”との別れが近づいてくる。


「じゃあ私、夕飯の支度しなきゃいけないからそろそろ帰るわ。シゲ、サッカー頑張ってね」
「おう。ちゃんも元気でな。ほなまた、さいなら」




 が店を後にして、人混みに紛れ、消えていくまでシゲは見届けた。漸くの姿が消えると、シゲは徐にズボンのポケットから煙草を取り出し、ライターで煙草に火をつけると、煙をふかした。


 冬がやって来るにはまた早いが、シゲの心の中はいつだって冷たく乾いた風が吹いていた。彼を救える人間は、果たしてこの世に存在するのだろうか。万が一存在していたとしても、それが人のものだったら全く意味がないのだけれど。救済策は今のところ、何処にも無い。


「ホンマ。何であの時、本音が言えへんかったんやろなあ」


 過ぎ去った時間はもう、返ってこないというのに。
 時間というものは、あまりにも残酷だ。








カーテンコールのその裏で
(2014/08/07)

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