「ねえ、幸村。“幸せ”っていうものは、一体なんだろうね」
「流石なだけあるな。唐突にヘンテコなことを言う」
「不意に思い浮かんだだけだよ」


 部活の休憩中、ベンチに腰を下ろした幸村にスポーツドリンクとタオルを渡しに行ったついでに、は彼にそう訊ねた。問われた本人の幸村は、眉尻をやや下げて、困ったような表情を浮かべる。わけもない。突然そんな事を言われても、どんな顔をしてどんな言葉を返せばいいか、本来ならば答えに苦しむのだから。


は“幸せ”が欲しいのかい」
「そうじゃないの」
「じゃあ、何」
「最近ご飯を食べてても美味しくないし、友だちと遊んでても楽しくないの」
「へえ。にしては大問題だ」
「でしょ。幸村もそう思うよね」


 普段、明るい性格のは、割と女友達も多く、誰とでも気軽に話せるという武器を持っているという事で、彼女の知らない所で意外に男子にも人気がある。そんな事は勿論彼女自身には知れ渡っていないのだけれど。なにせ立海大附属中テニス部レギュラーが、に変な男が寄り付かないよう、こぞって彼女を断固として守っているからだ。


「私、ご飯食べてる時と友だちとワーワー遊んでる時が一二を争うくらいに好きなんだ」
「知ってる。見てると分かるよ」
「でも、最近なんだかおかしいの」
「どういった感じで?」
「なんていうか、特定の人を見た途端、胸が苦しくなって鼓動が速まる。病気かな、これ」


 はあ、とは溜息を吐けば、「どうしたら治るのかなあ」と神妙な面持ちで地面に目を遣る。それを見た幸村は隣で、少し悪戯気味にこう言った。


「特定の人って、その相手は?」
「・・・言わない。というか言えない」
「ふふ、そうか」


 「何で笑うのよ」というの問いかけに、幸村は「あ、休憩終わった。じゃあ、練習行ってくるよ」と笑顔の意味をはぐらかしたままにタオルを返して颯爽と行ってしまった。取り残されたは、ただただ幸村の後姿を見守る。


 コート上に降臨した幸村は、誰よりも輝いている。自信に満ち溢れていて、気迫があり、且つ凛々しい。そして、何より気高く美しい。その姿には、思わず惹きつけられるのだった。その姿を眺めながら、は再び溜息を吐く。


(相手なんて、言えるわけないじゃない。)





 朝練が終わり、教室に向かうと一足先に幸村が席に着いていた。彼よりも席が斜め後ろであるは、幸村の様子を机に肘をつきながら何となしに観察する。一時間目までまだ時間があるというのに、予習なんてしてる。真面目だなあ、なんては思いながら、一時間目の宿題をやってきてなかった事に漸く気づく。


 そこで思いついたのは、神様仏様“幸村精市様”だった。は自身の席から離れて幸村の席に近付くと、「ねえ、幸村くーん」と満面の笑顔を作って、いつもより声のトーンを上げて、彼の名を呼んだ。


 当の幸村はというと、ふう、と一息つけばの目を見て「宿題、やってきてないのかい」と、まさに大正解な回答をしてみせた。「よ、よくご存じで」まさか当てられるとは思わなかったは一瞬驚いたが、幸村のことだ。何でもお見通しなのだろう。


「見せて欲しいの?」
「よろしければ」
「仕方ないなあ」
「ありがとう、幸村!」


 そうやって喜んでいるのも束の間、「その代わり」と、幸村が次の一言を発した。


の秘密をひとつ、教えてくれないかい」
「秘密? 私に秘密なんてないよ」
「今朝言ってたじゃないか。特定の人を見た瞬間、ドキドキするって」
「ドキドキじゃないもん」
「その相手、聞かせてもらえない?」
「え・・・」
「宿題見せてあげるのと等価交換ということで」


 穏やかに笑う幸村の表情は、相手に有無を言わさないようなオーラを纏った顔だった。勢いで、思わずの口から“その人”の名前を言い出しそうになった。しかし、幸村の策略には嵌らないと、ブンブンと首を横に振ってそれを払拭する。だって言ってしまったら、言ってしまったら。全てが壊れてしまうかもしれないのに、とは思うのだった。


「とにかく、宿題見せて! 今日私、当たる番なの」
「そう。なら仕方がないな。はい、どうぞ」
「ありがとう!」





 放課後の部活が終わった後、がテニスボールの片付けやコート整備をしていた時の事である。「」と後ろから幸村の声がした。「なに?」とが問えば、「片付けが終わったら、部室においで」と言われた。疑問符を頭上に掲げたまま、は「んー、分かったー」と生返事をすると、幸村は部室へと戻っていった。


 片付けを終えると、は部室に寄った。部員たちはもう、帰っている。残るは幸村だけ。幸村はちょうど部誌を書いている最中だった。「お疲れ。幸村」は部室のドアを閉めると、彼に労わりの言葉を投げた。部誌を書いていた幸村はの存在に気付くと、部誌を閉じ、パイプ椅子に座ったまま、肩肘を机に突きながらにこう言った。


「ああ。やっと終わったのかい。もお疲れさま」
「幸村が最後まで残ってるなんて珍しいね。で、どうしたの。何か私に用?」
「どうしてもきみの秘密が知りたくて」
「それって朝言ってた・・・?」
「そう」
「そんなの、言わないよ。絶対」
「へえ。頑なだな。じゃあこれならどうだい?」
「なに?」
が言う、“特定の人”がもしもきみのことが好きだったら?」
「そんな夢みたいな話あるわけないじゃん」
「そうだね。あったら面白いな」
「でしょー」


 書き終った部誌を特定の位置に戻すと、既に制服に着替え終わっている幸村は、ロッカーから鞄とラケットバッグを取り出した。そろそろ帰るのだろうか。がそう思っていた矢先だった。徐に幸村が言葉を紡ぐ。


「でも。それがあるんだよね」
「へ?」
「俺、のことが好きだよ。誰よりも」


 幸村がそう言った途端、の心臓の鼓動が忽ちバクバクと速くなっていく。みるみるうちに顔は紅潮し、身体も硬直しそうになった。その姿を見た幸村は、ふふっ、と小さく笑うと、再びにこう口にした。


「前からばれてたよ」


 そう言われたは、驚いて腰が抜けたのか、へなへなと地面へと倒れ込んでしまった。部室に置かれていたベンチにどうにか掴まりながら、地べたに座りながらも姿勢を戻す。


「幸村、鋭すぎ。バカ。ばかばか」
「で、の答えは?」


 目の前には穏やかな表情をした幸村が居た。一見、いつもの幸村に見えたが、にとってはそれどころではなかった。の答えは、もう、決まっている。心臓が口から出そうになった。そして、いよいよ勇気を振り絞って、は幸村の告白に対する返事を口から紡いだ。緊張して少しだけ、声が震えたような気がした。


「私も・・・、幸村のことが好きです」


 がそう答えると、にっこりと笑った幸村がの方へと近付けば、「よくできました」と言って彼女の頭を優しく撫でた。卑怯過ぎるその何気ない行動に、は再びへなへなと腰を抜かした。


。これで“幸せ”になれそう?」
「・・・はい」


 きっとこの男には、これから一生何があっても敵わないと信じて疑わなかった、とある日の夕方。




   降参しました。貴方が最強です、幸村精市くん。あと、大好き。








勝率、ゼロパーセント
(2014/06/10)

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