行為が終わった後、彼はこう言った。「アンタ、もう帰っていいっスよ」と。
 私が丁度、下着から洋服に着替えている時の事だった。思わず耳を疑わずにはいられなかった。


「・・・家まで送ってくれないの?」
っちの家、ここから遠いじゃん。めんどくさいし」
「うわ、ひっど。やるだけやってポイって相変わらず最低な男だね」
「まあまあ。アンタも気持ち良くなれたんだし、いいじゃん」
「今すぐ死んでください」
「そんな怖いこと言わないでよ。またおいで」
「・・・・」
「あ、その顔。絶対また来たいと思ってる顔だ。かわいー」
「うるさい。二度と来るかバカ」
「そう言いながら何度目っスか。オレの家来るの」
「はいはい分かりましたまた来ますねさようならおやすみなさい」
「はーい。おやすみー」


 鞄を肩に掛け、テーブルに置いてあった自分のスマートフォンを手に取ると、バタンという大きな音をわざと上げて扉を閉め、足早に黄瀬の家から去っていった。





 黄瀬とこういった関係に成り下がったのは、確か高校生の頃だった。黄瀬は中学から読者モデルをやっていたという事もあり、入学する前から既に周知されていた。海常高校にあの黄瀬涼太が入学してくると。私も雑誌では見た事あったものの、直接生では見た事がなかった為、少し興味があった。同じ海常高校に入学したミーハーな女友達は当時、「入学してきたら黄瀬くんとツーショット写真撮ってもらおう!」と意気揚々だった。


 入学すれば、あろう事か私は黄瀬と同じクラスになってしまった。その上、隣の席である。人生の中の幸運の半分を使ってしまったんじゃないかと思う程だった。初めて生で見た黄瀬は正直、雑誌に載っていた姿より何倍も格好良かった。端正な顔立ち、眉目秀麗、と言えばいいのだろうか。こんなに格好良い男の子は、十五年間生きてきて今まで見た事がなかった。


 入学式が終わり、教室に戻り席に着くと、机に置かれていた名前札を見るなり、黄瀬は私に話しかけた。


「えーと、さん? オレ、黄瀬涼太って言います。よろしくっス!」
「初めまして。です。こちらこそよろしく」


 初対面の印象は案外悪くはなかった。爽やそうな男の子で、寧ろ好印象だった。
 そんな好印象と思われた黄瀬のイメージがガラリと変わったのは、とある出来事がきっかけであった。


 学校にも慣れてきて、友人もそれなりにでき、割と満足のいった高校生活を送っていた頃だった。とある日、風邪をひいて、体がだるく保健室で寝ていた時の事である。保健室の先生は会議で不在だった。そんな中「失礼しまーす」と保健室のドアの方から男子の声がした。それは間違いなく、黄瀬の声だった。


 気付いた私はクリーム色をしたカーテンを開けると、「先生、会議で居ないよ」と先生を探していた黄瀬に教えた。彼曰く、体育の時間で珍しく膝を擦り剥く程度の軽い怪我をし、手当てをしに保健室に来たという。


「そうなんっスか。ていうかさん、風邪大丈夫?」
「んー。寝てたら大分マシになってきたかな。心配してくれてありがとう」
「それなら良かった。ところで、先生っていつ帰ってくるか分かる?」
「会議中だし、当分戻って来ないんじゃないかな」
「へえ。そうなんだ」


 自分で手当てをしてそそくさと体育の授業に戻ると思っていた私の考えが甘かった。ここは密室の空間。私と黄瀬の二人しかいない事を、失念していた。黄瀬は私が寝ているベッドへ近付くと、いつも通りの爽やかな笑顔を浮かべたまま、こう口にした。


「ねえ、さん。ちょっと楽しいこと、してみないっスか?」


 その何気ない黄瀬の一言から私は、期待していたバラ色の高校生活から灰色の、くすんだどうしようもない高校生活を送る事となった。





 高校を卒業し、大学へ進学しても、黄瀬との関係は不思議と途切れなかった。今日みたいに、黄瀬が死ぬ程暇をしている日には彼の家まで呼び出され、行為に及ぶ。終わった後は、ハイさよなら。と言わんばかりに邪険にされるのだ。


 私は、黄瀬と出会ってから今まで、彼を恋愛対象として見た事がない。出会った当初は、格好良い男の子だと胸がほんの僅かにざわついた時もあったが、“あの日”の出来事をきっかけに、私は黄瀬涼太を軽蔑している。確かに黄瀬とのセックスは気持ちが良い。しかし、それだけだ。それ以外、私たちの間には何も残らない。


 私は、黄瀬以外の男を知らない。恋人が出来た事も、一度もない。ある意味、人生を黄瀬に狂わせられたと言っても過言ではないだろう。あの出来事がなければ、私はもっと普通の、真っ当な恋愛をしていたに違いない。黄瀬さえいなければ。あいつさえいなければ。黄瀬なんて今すぐ死んでしまえばいいのに。


 帰宅する為、私は電車に乗り、吊革に掴まりながら今日の事を思い返す。昼間は大学の講義を受けて、夜、久しぶりに黄瀬からメールがきたかと思えば、『うちに来ないっスか』という誘いのメールだった。深い溜息を吐いた後、私は『分かった』と一言だけ添えて返信し、黄瀬の住んでいるマンションへと向かった。


 私は、黄瀬にとって都合のいい女に過ぎない。私だってそんな事など、とうの昔から分かっている。彼に本命の女が居る事も、勿論知っている。それでもこの関係を続けているのは一体、何なのだろうか。車窓から見える夜のネオンが、ただただ私を虚しくさせる。


 しかし、私は黄瀬を軽蔑しているくせに、確実に黄瀬涼太という男に依存しているのを、自分自身気付いていなかったのだ。今までも、そしてこれからも。
 もしも黄瀬との関係に終止符を打たれたら、恐らく私は死ぬだろう。この数年間、ずっと黄瀬に依存して、その挙句、残ったものは何一つないのだから。思い出なんていうくすぐったい青春のようなものは、私には全く無い。


 黄瀬を軽蔑していると言いながら、寧ろ軽蔑されているのは、もしかすると私の方ではないだろうか。そう思った途端、無性に怖くなって、今すぐ電車から降り、知らない街へと逃げたい衝動に駆られた。


 そうして漸く気づくのだ。私は、黄瀬がいないと生きていけないという事を。








永遠なんて存在しないのに
(2014/05/28)

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