永遠というものは、必ず存在すると信じて疑わなかった。それはオレがまだ未成年だった頃の、高校一年の、確か季節はジメジメと湿気が酷くうざったい梅雨の話の事であった。


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「真ちゃーん。昼飯食いに行こうぜ」
「なんだ。高尾か」
「『なんだ』って、相変わらずヒデエのな」


 なんて、ケラケラと声を出しながら笑い飛ばした。その時、不意に違和感を持ったのはオレだけだろうか。真ちゃんの隣に見かけない女子生徒が居たのだ。彼が女子と一緒に居るのなんて珍しいな、などと考えつつ、疑問に思ったオレは真ちゃんに訊ねる。


「・・・って、あれ? 真ちゃん。隣に居る子、誰?」
「中学からの同級生だ」
「初めまして。と言います」


 その彼女の可憐な容姿と心地の良い声を聞いた途端、オレはハートを射抜かれた状態に陥った。まさしくこれは一目惚れというやつだろう。初めての体験に、正直どうしたものかと戸惑った。


「あの、高尾くん・・・ですよね?」
「あ、ああ。うん。高尾和成。よろしくな」
「お噂はかねがね聞いてます」
「まさか真ちゃんに?」
「いえ。友だちがよく噂してるから」
「俺がお前の話をにするわけないだろう。馬鹿め」
「ははっ。そうだった」


 昼休みが始まって約五分。さんを含む俺たち三人は、食堂に向かっていく生徒たちをよそに、廊下で軽く談笑していた。さんはというと、初めて対面したオレに気を遣っているのだろうか。同い年だというのに敬語で話してくる。敬語で話されるのは慣れてないし、何より恥ずかしくむず痒かったので、オレは彼女に対してこう口にした。


「つーか敬語じゃなくていいよ。俺らタメなんだし」
「そうですね。あ、じゃなかった。そうだね」
「うんうん。そんな感じで」


 はにかんだ顔が可愛かった。そうやって、もっと彼女と話したい、彼女の事をもっと知りたいと思った矢先、「高尾。早く学食に行くのだよ」と真ちゃんに急かされたので、仕方なく真ちゃんと食堂に向かう事にした。この時間帯の食堂は混み合うので、早く行かなければ席が取れないのだ。彼女と別れるのが酷く惜しかった。「さん。わりいけど、俺らそろそろ行くから」「うん。私も教室に戻らなくちゃ」そう言って、渋々お互い別れを告げる。


「じゃあ、改めて。よろしくね、高尾くん」
「おう。よろしく。またな、さん」


 そうして、手を振りながらオレはその場をあとにした。





「しっかし、真ちゃんに女友達が居たなんてなー」
「ただの同級生に過ぎないのだよ」
「でも、親しげに話してたじゃん」
「お前の気の所為だ」
「またまたー」
「黙れ。そして早く食え。麺が伸びるぞ」


 へーへー、と適当に生返事を打ちつつ、オレは食堂で購入したラーメンをふうふうと冷まして啜った。
 その日は一日中、さんの事が頭から離れなかった。一体どんな子なのか少しでも知りたかったオレは、暇があれば真ちゃんにさんの事を訊ねた。真ちゃん曰く、彼女は隣のクラスに在籍しているらしい。高校では部活動に所属していないが、中学の頃はテニス部に入っていたという。今日の収穫はこの二つだけだった。たったそれだけでも、彼女の事を少しでも知りたかったので、オレにとっては大きな収穫だった。


 翌日、さんの居る隣のクラスに行ってみる事にした。ガラッと教室の扉を開けると、知らない女子がオレの顔を見るなり、「高尾くん!?」と声を上げた。と同時に教室から小さな悲鳴にも似た黄色い声が次々と上がってきた。どうやら入学三か月目にしてオレは学年でもなかなかの有名人になっていたらしい。まあ、一年にしてバスケの強豪校である秀徳高校バスケ部レギュラーになっちゃったし?自分自身でも驕っているのは分かっていた。


 そんな事よりも、さんだ。オレは近くに居た女子生徒に「なあ、さんいる?」と声をかけた。その彼女はやや動揺しつつも「なら今日休みだよ」という答えが返ってきた。その言葉を聞いた途端、オレのテンションは急降下した。
 ガクリと肩を落としながら自分のクラスに戻ると、珍しくオレの事を待っていたかといわんばかりに、真ちゃんはオレの席の前に座っていた。「真ちゃんどうしたの。何か用?」オレが軽く訊ねると、真ちゃんは思いがけない台詞を口にした。


「お前は、の事が好きなのか」


 直球な質問過ぎて、思わず少しだけ後ろにたじろいだ。


「えっ。真ちゃん、いきなり何言ってんだよ」
「わざわざのいる教室にまで赴いて。好きなのだろう」
「うーん。気になるっちゃ気になるけど、好きなのかまだ分かんねえ」
「意外だな」
「何がだよ」
「もっと派手で目立つ女子が好きなのだと思っていたのだよ」
「ちげえよ。オレそういうタイプ好きじゃないし。寧ろ苦手な部類だわ」
「じゃあのどこが好きなんだ」
「どこが好きとか・・・まだ一度しか会ってないし、何とも」
「そうか」


 そう言い捨てると、真ちゃんは二限目の授業の準備をするべく、颯爽と自分の席へと戻っていった。


 何となく窓の外を眺めると、どんよりとした暗い雲が空全体を包んでおり、今にも雨が降りそうな天気であった。梅雨なのだから仕方のない事なのだが、気分は嫌でも憂鬱になる。正直言って、六月は嫌いだ。雨ばかり降るし、ジメジメ鬱陶しいし、おまけに祝日もないからつまらない。六月なんて無くなればいいのに、と今まで何度思った事だろう。




(早く夏、来ねえかな。)




 曇り空を眺めながら、机に頬杖を突くと、オレはぼんやりとそう思った。





 次の日、ひとり廊下を歩いていると遠くでさんを見つけた。向こうも一人だったので話しかけるチャンスは今しかない。頭より先に行動してしまうオレは、思わず「さん!」と叫んだ。周囲に居た幾人かの生徒たちがこちらへ振り向いた。勿論名前を呼ばれた本人であるさんもオレのほうへと振り向くと、小走りでこちらにやって来た。


「高尾くん。そんなに大声で呼ばれると、ちょっと恥ずかしい」
「ごめん。さんが見えたから、つい」


 彼女の顔はほんのりと赤らんでいた。やはり、さんはどんな表情をしていても、とびきりに可愛い。


「で、何か用かな」
「いや。特に用はなかったんだけどー・・・。あ、そうそう! 電子辞書、貸してくんない?」
「いいよ。私ので良ければ」
「サンキュ!」


 電子辞書を借りるなんて、ただの口実に過ぎなかった。さんとこうやって話せる機会が欲しかっただけなのだ。「そういえば昨日学校休んでたみたいだけど、風邪?」オレが問えば、少し間を空けて「え? あー・・・。うん。そんな感じかな」小さく笑いながら、さんは言葉を返した。その、彼女が答えた曖昧な言葉に何処か引っかかるような気持ちがしたが、その時はさほど気にしなかった。


「はい、電子辞書。今日中に返してくれたら大丈夫だから」
「オッケー。さんも風邪、お大事にな」
「うん。ありがとう」


 さんと話している時は、とても居心地が良い。おそらく、彼女が醸し出している癒しのオーラがオレを包み込んでくれているからなのだろうと、さんが教室に戻っていくのを見送りながら、一人思う。確実に惚気ている。この時、漸くオレはさんの事が好きなんだと、確信したのだった。





 部活の休憩中、真ちゃんと体育館の外で休んでいる時だった。オレは真ちゃんに彼女に対する気持ちをいよいよ打ち明けた。


「・・・で、真ちゃん。どうするよこれ」
「どうするもこうするも、全て高尾次第なのだよ。俺は知らん。関係ない」
「ひっでえ」


 天を仰げば、どんよりとした暗雲が広がっていた。帰る頃には雨降るだろうな、なんてぼんやり思っていると、徐に真ちゃんの口から言葉が漏れた。


は実はああ見えて、ちょっとした出来事があって人に恐怖心を抱いている」
「ちょっとした出来事?」
「お前にも言い辛い話だから俺からは言わん。それでもを好きになるのなら、勝手にすればいいのだよ」
「なんだよ。余計気になるって、それ」
「言わん」
「頑なだなー」
「ほら、休憩時間終わるぞ。さっさと戻るのだよ」
「はーいよ」


 そうして重い腰を上げると、オレたちは体育館へと戻った。




 部活も終わり、下校しようと思った矢先の事だった。「あ!」と思わず大きな声を上げた。さんに貸してもらっていた電子辞書を返さずじまいだった事を思い出したのだ。空はもう、夕焼けを通り越して、薄暗い。おまけにしとしと雨まで降り始めている。流石にさん、もう帰っちゃってるだろうなあ、なんて思いつつも、“もしかしたら”という気持ちからオレは彼女のクラスへと急いで駆けた。


 ガラッと勢いよくさんのいるクラスの教室の扉を開けた。全速力で向かったので、ゼエゼエと息を切らしながら教室を見渡す。と、そこに、彼女が一人、机に突っ伏して眠っていたではないか。もう帰っていると信じてやまなかったオレは、動揺を隠しきれず、「・・・さん?」と、ゆっくりと訊ねた。名前を呼ばれた本人は目覚めて上体を起こすと、「え・・・。高尾、くん?」と寝ぼけ眼で、少し驚いた表情を浮かべながらそう答えた。


「ごめん。もしかして、辞書返してもらうの、待っててくれた?」
「それもあるけど、何だか眠たくていつの間にか寝ちゃってた」
「あの、これ。今日はありがとう」
「どういたしまして」


 目覚めたばかりで、まだ意識がぼんやりしているだろうさんは、目を擦りながら電子辞書を鞄にしまった。彼女は、ふわあ、と一つあくびをすれば、うん、と背を伸ばす。


「もう遅いし、近くまで送っていくよ」
「え? そんな悪いよ」
「女の子が夜道で一人じゃ危ないっしょ」
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて」


 心の中で思い切りガッツポーズをした。さんと一緒に下校出来るなんて夢みたいだ。出会ってまだ数回だけど、彼女の事はまだ詳しく分からないけど、これからゆっくり知っていこうと、歩み寄っていこうと心に決めたのだった。





 雨が続いた翌日、登校するや否や、真ちゃんが今まで見た事のない、血相を変えた表情をして、オレにこう言った。


が昨夜、マンションの13階から飛び降りた」


 窓越しからでも聞こえる大きな雨音が、オレの思考を停止させた。




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 高校を卒業し、大学も無事卒業した現在、オレはしがない社会人をやっている。あれから何年経っただろう。片手では数えられなくなってしまった。会社終わり、オレは今日も病院へと足を運んだ。殆んど毎日通い続けている為、看護師からはもう名前と顔を覚えられている。「あら、高尾くん。こんばんは」と見知った顔の看護師がにっこりと笑って挨拶してきたので、オレも挨拶を返した。


 703号室の病室に向かうと、そこには一人の少女が眠っていた。身体中に沢山の管が巻かれ、人工呼吸器で一命を取り留めている。オレはゆっくりとパイプ椅子に座ると、彼女にこう言った。


さん。今日も来たぜ。体調はどうよ」


 意識を取り戻さない彼女からは、当然返事などなかった。ずっと目を瞑って、まるでおとぎ話に出てくる眠り姫の如く、白い肌で、美しい顔をして静かに眠っている。


「あのな、今日はちょっとした報告があって来たんだ」


 生唾を飲む込む音が、病室中に聞こえた。とは言っても個室なので、オレとさんの二人だけしか居ないのだけれど。オレが緊張しているのが分かるだろうか。少しでも感じてくれているといいな、なんて馬鹿げた事を思った。


「実はオレ、結婚する事になったんだ」


 彼女の反応は、勿論ない。心拍数も、変わらない。指先ひとつ、動かない。


「だから、明日からもう、此処には来ない」


 自分から言っておきながら、その言葉が自身に返ってくるように思えて、途端に悲しくなった。そして数年間、ずっと言えなかった言葉を今、彼女に伝える。


「オレの、初恋の人でした。大好きでした」


 最後に言わなければならない言葉が、なかなか喉の奥から出てこない。ピッピッピ、と機械の音だけが部屋中に聞こえる。拳をぎゅっと握って、息を軽く吸い込むと、オレはいよいよ声を出した。気の所為だろうか、少しだけ声が掠れ、僅かに震えていたのは。


「・・・それじゃあ、さん。さようなら」





 病院を出ると、雨がザーザーと降っていた。八時を回っているからというのもあり、夜の雨は寂しく、何故だか不意に泣きたくなった。おまけに皮肉にも、今は梅雨の季節だ。あの時の記憶が、嫌でもすぐによみがえってくる。何であの時、彼女を助けられなかったのだろう。救えなかったのだろう。オレの心がもっと強ければ、彼女の心の闇に気付いてやれていれば、彼女の過去も、現在も、そして未来も救済出来たかもしれないのに。


 雨に打たれながら、オレは病院をあとにした。打ち付けられる雨に紛れて、オレの目からツー、と涙が流れ落ちた。
 ずっと好きでした。青春を、ありがとう。




   出来る事ならば、貴方と一緒に生きたかったです。












紫陽花に憂い溜息


黒子のバスケ企画サイト、
『Good-bye.』様に捧げます。


(2014/04/27)
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