両親の仕事の都合で、私は長い間暮らしてきた田舎から東京へと移り住んだ。それが高校一年生の春だった。田舎の学校は、母数が少ないが為に顔見知りも多く、中学からの旧友と初めはつるむようだが、母数が格段に多い東京の高校となればわけが違う。ただでさえ慣れていない都会暮らしの上に、新しい学校、環境は、私にとっては非常に荷が重かった。


 そんな中、ひょっこりと突如現れたのは、のちの私の恋人である高尾和成であった。入学式翌日の放課後、同じクラスになった高尾は私の方へと近寄れば、後ろからトントンと軽く肩を指で突いて「なあ。あのさ」と声を発した。


さんってどこ出身?」
「え・・・?」
「自己紹介の時にちょっとだけ訛ってたから地方出身なのかなあって気になってさ」


 その時、私は地方出身者というのを馬鹿にされたような気がして、酷く恥ずかしく、そして悔しかったのを今でも覚えている。しかし後に聞いた話によると、当時は私とただ話してみたかっただけの口実に過ぎないと、恥ずかしそうな顔をした高尾から聞いた。


 とにかく、その頃は高尾和成という男をどちらかと言えば嫌っていたのは確かだった。だが、クラスメイトである以上、ある程度の距離感を保っておかなければいけないことも確かであり、仕方なく時には他愛もない会話をする事もあった。


 そうやって時折だが話しているうちに、高尾和成という男は、もしかすると私が思っているよりも悪い奴でもないのではないのかもしれないと考えるようになった。裏表のない性格で、誰からも愛される人気者。そんな高尾に対して淡い恋心を抱くようになったのは、そう時間がかからなかった。ちょうど・・・そう、今日のようなジトっとした夏が近い季節の出来事だった。梅雨にしては晴れたとある日。高尾に屋上へと呼び出された。


さん。好きです。俺と付き合ってください!」


 いつもケラケラと剽軽に笑っている高尾の顔が、その時ばかりは真っ赤に染まっていた。普段とのギャップが決定打だった。私は小さく微笑むと、差し出された両手を握り、こう答えた。「はい。よろしくお願いします」と。そうして私たちの青春が始まった。





 あれから何年が経過しただろうか。指で数えるのも億劫になった。
 高校卒業とともに高尾と別れると、私は田舎に帰った。東京で暮らした3年間は私にとって、とても刺激のある3年間だった。高尾が隣に居なければそれはおそらく叶わなかっただろう。高尾が居たから私は充実した生活を送る事が出来た。だからこそ、高尾には私と離ればなれになったら自由になってほしかった。だから、私は高尾と別れた。それが胸にしまい込んでいた私の願いであり、本音だった。
 

 それなりに大学生活を楽しめば、なんとか就職先も決まり、無事に大学を卒業した。卒業を目前にした大学4年の3月、私の内定先の勤務地が発表された。あろう事か勤務先は、私の青春全てが詰まっている“東京”だった。





 就職して3年目である現在、1年目よりもかなり仕事に慣れてきた時の事である。業務をこなしている最中、突然上司に呼び出された。何かヘマをしてしまったのかとビクビクしながら、上司が座っているデスクの前へ足を運んだ。恐る恐る「あの。私、何かミスでもしてしまったでしょうか・・・。資料の不備とか」しかし、返ってきた言葉は全く逆のものだった。


「ああ、違う違う。とある案件で私の部下として○○商社に一緒に行って欲しいんだ」
「え・・・? はい。私なんかで良ければ構いませんが」
「良かった。そうそう、そこに若手でありながら敏腕の社員がいるんだ。
 名前は、えーと何だったけな」


 少しの間、私の上司は自身の名刺入れから、今まで貰ってきた数多くの名刺たちの中からそれを見つけ出すと、「おー、あったあった」そう言ってとある一枚の名刺を私に見せた。その名刺に書かれている名前を見た途端、思わず目を疑った。


「高尾和成くんと言ってな、確かキミと同じ高校出身だと聞いたよ」


 「これも何かの縁だろうな」目の前でそう言う上司の言葉が耳に入ってこない程、私は酷く動揺していた。


 3日後、いよいよ高尾が勤めている○○商社へ足を運んだ。2階にある小会議室へと案内されると、受付の方から「もう暫くお待ちください」と言われ、少しの間上司と2人で待つ事となった。
 営業の仕事は好きだ。3年前の新入社員の頃と比べて、上手く喋られるようになったし、クライアントとの信頼関係も早い段階で築き上げる事も出来るようになった。しかし、今日ばかりはわけが違う。だって取引先の相手は   


 そうやって緊張ばかりが募る中、ガチャリと小会議室のドアが開かれた。とうとうあいつがやって来る。心臓が破裂しそうだった。


「失礼します。○○商社××課の高尾和成です」


 姿を現したのは、間違いなく私と付き合っていた、あの高尾和成本人だった。しかし今は仕事の最中だ。私情を挟んではいけない。業務に集中して、私は黙って彼ら二人の会話を聞いていた。その時だった。高尾がこちらに一瞬視線を移すと、私の上司へこう口にした。


「あの、□□さん。お隣に居る方は・・・」


 来た。私は極力平静を装って言葉を発する。


です。初めまして」


 まるで彼と初めて会ったかのように白々しく言ってのけた私の顔は、おそらく何の表情も映していないだろう。とにかく私は彼の事を何も知らない。彼とは初対面。ただの取引先の人。知らないふりをただただ突き通した。そして今日の話し合いは、無事に終わる事となった。





 漸く一日の業務が終了した。こんなに仕事に疲れたのは、新入社員の時以来だろうか。とにかく精神的に参った。他人の如く知らないふりをするのは、これ程まで肉体的にも精神的にやられるのかと痛感した。


 とりあえず腹が減った。帰りにコンビニに寄ろうと、30分程電車に揺られた後に自宅の最寄駅にあるコンビニに着けば、何故だか普段飲まないビールを2本、購入していた。おそらく、酒が飲みたいくらいに疲れていたのだろう。
 帰宅すると、すぐさまスーツからラフなワンピースの寝間着に着替えた。無音が苦手な私はテレビの電源をオンにして、ビール缶のプルタブを開ける。電源をオンにしたテレビからは、バラエティー番組独特の笑い声が聞こえてきた。そうやって一服していた時の事だった。


 通勤用の鞄の中からスマホの着信音が聞こえてきた。


 鞄にしまったままだったスマホを取り出すと、ディスプレイには知らない電話番号からの着信だった。不思議に思ったが、どことなく胸騒ぎがした。もしかしたら。もしかすると。そうだったら・・・。そんな想いを胸にしまい込みながら、私は通話ボタンを押した。電話を取った時、少しだけ声が震えたのは気のせいだろうか。


「もしもし・・・」
『もしもし、? 俺、高尾だけどさ』


 今日聞いたばかりの声だというのに、酷く懐かしく思えて、私の視界がぼんやりと滲む。ずっとこの声を欲していた。私の名前をまたもう一度、呼んで欲しかった。その、心の中で密かに眠っていた願いが今日、漸く叶った。涙混じりの声で、私は必死に声を漏らす。


「うん・・・。待ってた」


 二人だけの青春が今、再び訪れる。








セカンドシーン≪後編≫
(2014/01/17)

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