「お、おばあちゃん!?」
「おや。ちゃんかい」


 の視界に映ったのは、紛れもなく自身の祖母だった。思ってもみない人物に、は驚きを隠せなかった。


「どうしておばあちゃんが此処に?」
「ちょっと昔を思い出してしまってね」
「昔?」
ちゃんが生まれるうーんと前の話さ」


 祖母は目を細めて、海よりずっと遠く先を見据えていた。それはまさしく過去を懐かしむような眼差しで、悲しそうでもなく、かと言って幸せそうにも見えない不思議な表情をしていた。不意に、祖母がのほうへと顔を向けると、普段とは違った少し悪戯っぽい顔色を浮かべて彼女にこう言った。


「死んだおじいちゃんには内緒だよ」
「うん。内緒にする」


 は、ごくりと生唾を飲んだ。今から祖母は、どんな話をするのだろうかと、楽しみでもあり不安もあったからだ。ふと目を合わせると、いつもの穏やかな表情を浮かべた祖母が居た。その姿を見て、は少しだけ安堵する。そして、祖母の口から真実を告げられる事となる。再び祖母は海を見ながら、懐かしげにしていた。


「おじいちゃんと出会う前にね、わたしに意中の人が居たの」
「へえ。どんな人だったの?」
「いつもこの丘で一人たそがれてたわ。海を見ながら、じいっと静かに。どことなく不思議な人だった」
「この丘で・・・」
「ええ。わたしはその人の事が大好きだったから、毎日此処に通っていたの」
「その方と、お話はしたの?」
「勿論よ。色んな話をしたわ。学校での出来事や、なんて事のない話を、沢山ね。好きだったから」
「・・・で、その恋の結末は?」


 てっきりその恋は成就したと思っていたとは裏腹に、一瞬祖母は愁いを帯びた悲しげな表情を見せたかと思えば、すぐに普段通りの優しげな顔を見せ、ゆっくりと言葉を続けた。


「その人・・・彼は、ある日突然居なくなっちゃったのよ」
「えっ・・・」
「少し経ってから、遠くへ引っ越したと聞いたわ」
「そう、なんだ」


 意表を突かれた。祖母に、そんな過去があったなんて知らなかったは思わず動揺する。事実を告げられた祖母に、どんな言葉をかけたらいいか分からなかった。言葉が見つからない。そうやってが悶々と言葉選びをしているところに口を切ったのは、祖母のほうだった。


「心残りがあるのよね」
「心残り?」
「彼に“好きでした”と一言告白していたら、未来は変わっていたのかと、時折思うの」
「・・・初耳だな。おばあちゃんにそういう想い人が居たっていうの」
「初めてかもしれないわ。ちゃんのお母さんにも話した事ないかも」
「ええっ、本当に?」
「そう。だから、この話をするのは最初で最後。誰にも言っちゃだめよ」
「うん。秘密にする」


 人差し指を口に当てて、“内緒”のポーズをする祖母の姿が一瞬、あどけない学生時代に戻ったかのように見えたのは、の錯覚だろうか。きっと祖母自身も、今、心の中では確かに学生時代に戻っているであろう。もう、どうやっても戻れない過去を思い出しながら、祖母は再び言葉を紡ぐ。


「だからね、ちゃん」
「うん。なあに」
「貴女は、悔いのない人生を送りなさい」
「悔いのない・・・」


 その、祖母が放った何気ない一言は、にとって随分と胸に突き刺さる言葉であったのは、確かだった。心当たりが一つ、あったからだ。


 祖母はベンチからゆっくり腰を持ち上げると、にこう言った。


「じゃあ。おばあちゃん先に家に戻るわね。残り少ない夏休み、目一杯楽しんで」
「うん。分かった。おばあちゃん、今日は話してくれてありがとう」
「なあに。ただの老人の戯言よ。気にしないで」


 「それじゃあ、家でご飯作って待ってるからね」そう言って、祖母は丘をあとにした。一人取り残される形となったは、何気なく周囲を見渡した。
 誰も居ない、秘密の場所。
 “悔いのない人生を”と、祖母は先程口にした。は果たして今、悔いのない人生を送れているのだろうか。祖母は、自分のようになって欲しくないと、に言った。に出来る事は、祖母の代わりに悔いのない人生を送る。それだけだ。という事は、答えはもう、見えている。


(あの人に言わなくちゃ。)


 夏休みが終わるまで、残りあと   








(2014/03/05) inserted by FC2 system