“仁王を好きになるな”


 ブン太くんが頑なにそう口にした一言に、私は僅かに動揺した。けれど、時既に遅し。私はもう今、その泥沼に一歩足を突っ込んでいるところだと思う。


 ◇


「今日は浴衣なんか」
「おばあちゃんに出してもらって」
「自分で着付けしたん」
「ううん。流石にそれは無理」
「フッ。似合うとるぜよ」
「あ、ありがとう」


 私と彼は、今日は丘の下で待ち合わせをする事にしていた。待ち合わせ時間は18時。遅れて飄々としながらやってくると思いきや、意外にも時間ぴったりに来た彼に、正直私は驚いた。


「そろそろ行くか」
「うん」


 彼の服装は至って普通。浴衣や甚平などを着てくるかと期待してた私が甘かった。カランコロンと下駄を鳴らしながら、私たちは徒歩約7分程で辿り着く神社へと足を向けた。周囲も同じ夏祭りに行くのだろう。浴衣姿の女の子たちが楽しそうに向かっていた。時には女の子同士、時にはカップル同士、と様々だ。じゃあ私たちはどの部類に入るのだろうかと、ふと思った。友人関係と言っても出会ってそこまで日が経ってないし、カップルなんて以ての外。“不思議な関係”。この言葉がしっくりくるのだろう。


「着いたぜよ」
「わあ。屋台がいっぱい!」
「目的はそれか」
「だって夏祭りといえば屋台でしょ」
「まあそうやけど」
「わたがし買おうわたがし!」
「はいはい分かったけえ、袖ひっぱるのやめんしゃい」
「あ、ごめん。つい」
「何がつい、じゃ」
「いたっ」


 パチン、とデコピンを喰らった。興奮のあまり、私は彼の袖を引っ張っていたようだ。これじゃあまるで恋人同士じゃないか。途端に恥ずかしくなり、彼との距離を一歩だけ遠ざける。



「ほら。わたがし屋あったぜよ」
「買う買う。ちょっと待って。今お財布出す・・・」
「かまん。ここは俺が出す」
「えー、悪いよ」
「俺も食べるから大丈夫じゃ」
「甘いもの好きそうじゃないのに?」
「気にせんでええ」
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて」
「ところで、どのキャラクターがええんじゃ」
「ど、どれでもいいよ! たかが外袋じゃん」
「じゃあ適当にプリキュアで」
「はい、それで・・・」


 プリキュアを知っている事にも驚いたが、何より、奢ってくれた事にすこぶる驚愕した。私の予想からすると、ヒモっぽい人かと思っていたので、全くの予想外だ。彼の家はお金持ちの家庭なのかなあと思ったし、ただ財布の紐が緩い人だけのなのかなあとも思った。でも、彼の家庭が全く想像できない。どんな生活を送っているのだろうか。父母は?兄弟は?ペットはいるの?訊きたい事は山ほどあった。


 あの日からずっと食べたかったわたがしは、甘くてふわふわと入道雲のようでいて、美味しかった。普段こういう場でしかあまり食べないわたがしなので、特別美味しく感じるのかもしれない。私がそうやって幸せそうに食べていると、彼が「一口くんしゃい」と言った。「特別だよ」私が悪戯っ気に返事をすると、「買ってやったのはどっちじゃ」とククッと笑みを添えて言葉を返された。


「甘いな」
「やっぱり苦手だった?」
「いや、たまにはこういうのもええ」
「そう。良かった」


 私たちは、屋台を通り過ぎて神社の周りをうろついた。彼がどんどんと道を進んでいくから、私は「何処行くの」と問うた。しかし、彼は無言で、でも、自然と私の手を繋いで歩いていく。思わず胸が高鳴る。そうしているうちに、彼が歩くのを止めた。そこは神社から少しだけ上に登った所の、見晴らしのいい場所だった。


「ここ。花火の穴場スポット」
「よく知ってるね」
「友達に教えてもらったんじゃ」
「そのお友達は男の子かな。女の子かな」
「さあ、どっちやったかのう」


 目を合わすと、二人して笑った。けれど、彼の笑みは儚くて、今にも消えてしまいそうな不安が残る、静かな微笑みだった。彼は徐に腕時計を見ると、「もう少しで花火始まる」と言った。「本当?」「ああ」時間だ。私は聞かなくてはいけない。彼の事を。今日をもって彼との交流がなくなるのを覚悟して、私は口を開いた。


「あのね、『名無し』さん」
「何じゃ」


 ヒュウー、という音が遠くから聞こえれば、暫くして、ドンッ、ドンッと色とりどりの鮮やかな花火が花開いた。その美しい景色をちらりと横目で見ながら、私は彼に問う。


「貴方は一体何者ですか。『仁王雅治』くん」
「・・・さあの」


 頭上には、ちょうど黄金に輝くしだれ柳が上がる。
 そして私の言葉をはぐらかすように、彼は私の唇を奪った。








(2013/11/13)
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