この夏、とても不思議な体験をした。それは嘘のようで本当の話だった。




雲散霧消




 テニスの全国大会も閉幕し、夏休みも残すところあと一週間となった。残りの休暇を有意義に過ごす人、宿題に追い込みをかける人と、様々だろう。俺は前者だった。無事夏休みの宿題を終え、クーラーのかかった自室で音楽を聴きながらベッドの上で一人寛いでいた。


 そんな時である。階段の下から勢いよく駆け上がる音がしたかと思えば、誰かが俺の部屋のドアを開け放った。おそらくあの人だろうと予測はしていたので、俺は振り向きもせず読んでいた雑誌に目を向けていた。


「ひかるー! 遊びに来たよん」
「遊びに来るんはええですけど、せめてノックはしてくださいよ」
「ごめんってば。ほら、アイス買ってきたし一緒に食べよ」


 勝手に部屋に入ってきた張本人は、俺の恋人であるさんだった。中学三年で、俺の一つ年上にあたる。さんを一言で表すと“天真爛漫”だ。いつも笑っていて、底抜けに明るく元気で、少し馬鹿だがそれも可愛らしく思える程だった。そんな俺と正反対な人が、俺の恋人だ。


 テニス部の先輩からはよく“お前とって相性ええん?”や、“がいつもこんな辛気臭い顔しとる財前と付き合うとはなあ。”などと言われ続けた。その都度、俺は「さあ、何ででしょうね」と素っ気なく答えるしかなかった。俺だって分からなかった。さんがどうして俺の事を好きなのか、全く理解出来なかった。それでもさんはいつも俺のところへとやって来るから、まあ、それなりに好かれてるんやろうな、とは思っていた。


「光。早く食べないとアイス溶けちゃうよ」
「はいはい、食べますって」


 某コンビニで購入してきたラクトアイス。さんはバニラ味で、俺の方はあずきが入った棒アイスだった。彼女は、何も考えていなさそうで俺の好きな物をちゃんと知っている。先月の俺の誕生日には、誰に聞いたのか分からないが誕生日ケーキの代わりに白玉ぜんざいを買ってきてそれでお祝いをしてもらった。確かにぜんざいは好きやけど、流石にそこはケーキやろ。ちゃうやろ。と思ったが、彼女なりの気配りだったのかと思えばどうって事なかった。寧ろそんなところが可愛く思えた。


 そうやって考えている内に、すぐにアイスを食べ終えてしまった。アイスの棒をごみ箱に捨て、俺は再びベッドに寝そべって雑誌を読み始めた。そんな俺を見兼ねて、自身もアイスを食べ終わり、暇になって仕方なくなったさんは俺の背中をポカポカと叩いた。


「ひーかーるー。聞いて聞いて」
「何ですか」
「これ見て!じゃーん。マカロン!」
「そうですけど、マカロンがどうしたんですか」
「光の家に向かってる途中に小さな洋菓子店があったの。気になって入ってみたらね、すっごく美味しそうなケーキがいっぱいあって」
「そないな洋菓子店なんてありましたっけ。俺知りませんけど」
「最近できたんじゃない? で、何を買おうか迷ってたら店のオーナーさんが中から出てきて、『開店祝いに来店されたお客様全員に配っているんですよ』って言われて、タダでマカロン貰っちゃったの!」
「へえ。俺、マカロン苦手なんで全部一人で食べてええですよ」
「ホントに? わあ、嬉しいなあ。今日はついてる日だね」
「そうっすね」


 しかし、本当に家の近くに洋菓子店なんか出来ていたか。思わず考え込んだ。さんがいつも俺の家まで来る道は知っている。コンビニを抜けた突き当りを右に進んですぐが俺の家だ。周りはほぼ住宅街に近い。家やマンションがずらりとひしめき合っているこの家の周辺に、例え小さかろうとそんな店など出店できるわけがなかった。一瞬にして不安が過ぎる。「いただきまーす」隣でさんが呑気にマカロンを口に入れようとしているところに俺が「ちょお待っ・・・!」と声をかけたが、時既に遅し。さんはマカロンを平らげてしまった。


「どうしたの、光。そんな青い顔して」
「その、味とか、どないですか」
「すっごく美味しかったよ!光にも少し分けてあげれば良かったくらい!」
「そう。そんなら良かった・・・」
「光。へーんなの」


 ケラケラとさんは笑いながら残りのマカロンを手に取った。
 その時だった。さんの腕が、薄らではあるが“透けている”事に気がついた。


さん、その腕・・・どないしたんです」
「へ?」


 さんも自身の腕を確かめた。途端に彼女の顔が強張った。


「やだ。何これ・・・」


 その拍子に、さんは手に持っていたマカロンを床に落とした。


「ちょっとマカロン入ってた箱、見せてもらえます?」
「うん・・・いいけど・・・」


 不安そうな顔を浮かべながら、さんは俺に箱を差し出した。すると、箱の底に小さな紙が二つ折りに折られて入っていた。徐にその紙を開く。そこには、このような事が記載されてあった。




『恐らくこのマカロンを食べた後に、貴方はこの紙を見つけたでしょう。
 恐らく貴方の身体の一部が消えかかったと気付いた後に、この紙の存在に気づいたでしょう。
 

 このマカロンには不思議な効能があります。
 これを食べた丁度7日後に、貴方の身体は消えてなくなります。
 信じるのも信じないのも、全て貴方次第です。
 絶望しかないと思いますが、幸運を祈ります。』




「何これ・・・気持ち悪い・・・」
「大丈夫。大丈夫やから、さん」


 “大丈夫”とは言ったものの、この紙に書かれているように、確かにさんの腕は部分的にだが透けて消えかかっている。とにかく不安から震えている彼女を抱き寄せ、安心させた。一体彼女を助けるには、どうすればいいのだろう。助ける手段は、今のところ何もない。


「私、本当に消えちゃうのかなあ・・・」
「俺が絶対阻止したるから。消えさせへんから」


 まるで説得力の無い言葉を彼女にかけた。




    そうして、俺と彼女の不思議な7日間が始まった。








(2013/06/26)
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